改めて『ソーシャル・ネットワーク』を観ることの意義 - @ogawakazuhiro

5月25日、映画『ソーシャル・ネットワーク』のDVD/ブルーレイが発売になりました。
まだご覧になっていない方は、ぜひ買いましょう(笑)

『ソーシャル・ネットワーク』が公開されたのが1月。その後主要部門のアカデミー賞の受賞を逃し、国内では震災の影響もあり、ベンチャー周りは若干大人しいというか、諸々自粛ムードが漂っていました。
今年のオスカーをとった『英国王のスピーチ』は、一国で一番偉い人、権力者であるその人がコンプレックスを克服して、国民に向かい合うという話でしたが、『ソーシャル・ネットワーク』は20歳にも満たない”若造”が、社会全体に大きな影響を及ぼす巨大ネットワークサービスを作ると同時に経済的にも破格の成功を収めるという内容だけに、金と女、という分かりやすい若者の野望を礼賛するのはどうなの?という雰囲気が、この映画を観ることでわれわれが得たエネルギーを世間と共有しづらいムードにさせていた気がします。


しかし実際は、行き過ぎた自粛や萎縮は経済成長への活力を奪い、無駄に国力の縮小を引き起こしかねない、危険な兆候です。

『ソーシャル・ネットワーク』において、マーク・ザッカーバーグは、学内のエスタブリッシュメント階級への羨望と嫉妬を指摘されて激怒し、「僕は君たちが誇りにしている排他的会員施設を全部買い取って卓球場にすることだってできるんだ」と言い放ちます。また、マークとともにFacebookの資金集めに奔走した初代社長であるショーン・パーカーは、自分をコケにした投資家たちへの復讐心と経済的な成功をシンプルに追求するがゆえに、周囲に多くの敵を作ってしまいます。
彼らは自己実現をひたすら追い求める純粋な若者であり、その行為に没頭するがゆえに時として傲慢であり傲岸な態度をとる傾向にありますが、その大きな野心と情熱は、どんな時代であっても賞賛されるべきものなのです。

アカデミー主演女優賞に輝いた『ブラック・スワン』は、潔癖な白鳥と官能的な黒鳥を演じ分ける為に、精神を崩壊させていくというサイコスリラーです。『ソーシャル・ネットワーク』を潔癖な若者が野心的なビジネスマンでもあろうとすることの矛盾ととらえれば、両作品の題材自体は似ているわけです。しかし『ブラック・スワン』が最終的には破滅に向かうのと違って、『ソーシャル・ネットワーク』は、それでも一人戦いを続けていく。孤高の存在であっても、光を喪うことはないのです。

『ソーシャル・ネットワーク』は、登場人物たちの異常なまでの早口とパラノイア的な態度のために、一度や二度観ただけでは掴みきれない奥行きをもった作品です。是非購入し、彼らの向こうみずな挑戦や野望に酔いしれてみませんか。元気が出ること請け合いです。