日本の政治家を尊敬する日が来るために

松岡 祐紀

最近、「国民一流、政治三流」と耳にする。特に震災後、政府の対応と被災地の方々の対応を比較した場合、それはよく理解できる。しかし、国民が一流だと仮定した場合、「その一流の国民から選ばれた国会議員から構成される政府は、どうして三流呼ばわりされるのか?」という疑問が残る。

色々と異論はあるかもしれないが、ここでは日本人を国民として一流と仮定する。その場合、それらの人々から選出された人々の意思決定が「三流」呼ばわりされるのは下記の二つの可能性が考えられる。

1.一流の国民から選ばれる人々は当然一流、あるいはそれ以上の人々ではあるが、国会議員になった途端に「なんらかの理由」で堕落し始める。

2.日本人は個人として行動した場合は優秀だが、集団として組織されると三流以下の機能不全に陥る。

上記の二つの可能性のうち、2については疑問の余地が残る。集団として行動した場合でも、規律ある行動が取れるからこそ、これほどまでに日本の経済は発展したからだ。そうなると残された可能性は1つしかない。


企業のルールはある意味シンプルだ。原則的にはひとつしかない。それは「金銭的な利益を残さない限り、生き残れない」ということに尽きる。しかし、政治のルールは傍目から見ていても、よく分からない。「なにを、どのようにすれば政治家として出世出来るのか?」このことを明確に説明出来る人はいるのだろうか?

当選すればするほど、党内のステータスが上がるのは分かる。だが、彼らの利益と我々の利益はけっして結びつかない。彼らの当選回数などどうでもいい。自分たちの代表として、自分たちでは思いもつかないようなアイディアや、この国をより良くすることを期待されているはずだが、そんなことを彼らに言っても「君はまだまだケツが青いな」程度のセリフしか返ってこないだろう。

日本の政治家の根本的な問題は「彼らは自分たちの利益しか考えない」ということに尽きるのではないだろうか?そして、それがけっして国益として結びつくことがないのが一番の問題だ。

私企業の場合は、金銭的な利益を残せないトップはクビになることは当然だ。だが国の場合、本来の利益であるはずの「国益」をある程度無視しても、「自分たち(党、派閥)の利益」さえ確保していれば、延命できる。

青臭い話しかもしれないが、本来ならば「夢や語りたいこと」がなければ、政治家など志してはいけない。しかし、現実には政治家の適性ゼロの人たちが日本の中枢に長い間居座っている。彼らも最初はそのような志を持っていたかもしれないが、長い間かけて自分が所属する党、派閥の利益を優先している間に損なわれていったのだろう。

自分が生きている間に叶えたい夢がある。それは、発信力と影響力のあるブロガー、ツイッターの使い手、あるいはそれらをきちんと使いこなせる人たちが政治の中枢を担うことだ。オバマの例を取ってみれば分かるように、人々に夢や希望を抱かせるのは「ことば」だ。政策や政治信念ではなく、生のことばによって人々は揺り動かされる。(悪用される可能性もあるが、小飼弾氏ちきりんのような人たちが政治の中枢にいると想像すると、なにかわくわくする。もちろん、彼ら自身は政治家になるということになんの興味もないだろうが、政治家を志す人たちのなかに彼らぐらいの発信力と影響力のある人がいれば、希望を抱ける)

今の政治家の方々は、よく理解出来ていないようだが、人々が知りたいのは「なぜ?どうして?」ということだ。その説明責任を果たさずに、何を実行しても誰の理解も得られない。

近い将来、選挙中のネット活用は解禁されるのだろう。そうなれば、ツイッターやブログなどに対して何の理解もない老政治家たちは、かなり痛い目を見る。もちろん、それだけですべてが変わるとは思っていない。だが、テレビで政治家を見るたびに気が滅入る毎日よりも、彼らのことばによって勇気づけられる日が来るために、自分も彼らの動向に目を配り、ブログやツイッターなどで発言をして、ささやかながらも貢献をしていきたいと思っている。

株式会社ワンズワード 代表取締役 ブログ

コメント

  1. 社会不適合者 より:

    国民は一流という仮定で議論を展開することは,徒労です。「国益を顧みず,私益の確保に邁進すること」が三流の典型的要素であるとすれば,それはまさに我が国国民の十八番ではないですか。
    「無い袖は振れない」という至極当然の摂理を殊更に無視し,税収の2倍も将来世代からファイナンス(国債発行)して予算を組んでいる国家なんて,倫理的に破綻している。これを実行しているのは,直接的には永田町・霞ヶ関ですが,間接正犯はバラマキを求める国民です。子供手当のようなチンケな金額のバラマキをスケープゴートにする一方,最大のバラマキである医療費,年金給付費等の社会保障費全般は死守するという国民の姿勢は,欺瞞というよりほかありません。
    民主党の若い議員も,政権交代前は,「国民一流,政治家三流。したがって,自分達が自民党から政権を奪取すれば,財政赤字は削減できる。」と本気で信じていたでしょう。ところが,現実は,三流の政治を求めているのは,なんと一流であると信じていた国民でした・・・よって,自分達も三流の政治しかできませんでした。ごめんなさい・・・というところが,彼らの本心じゃないでしょうか。

  2. tetuko_trail より:

    三流とか一流とか、この際どうでも良いことなのでは・・・そんなことより、いまだこの国はキラリと光る国民性を持っていると思う。私は、ゼロエリア仙台にいて、あのセブンもアラハマ・イシノマキも経験しました。復興が到底難しすぎてもちろん地方政府ごときに、プランなんてまだ時期尚早。でも、ほんとこれだけ余震がつづきツナミのおそれがあるのに全国からのボランティア、絶える事なかった。もちろん、余震と重なり、逃げてしまった人もいます。当然です、私たちだって怖い、住まいがあるからただ収まる日を待っている。それでもまた来るボランティア、そしてメガバンクが麻痺するほどの募金、政府の究極のパワーであるはずの軍隊・自衛隊の被災者をしびれさせる程の人間性、他国の軍隊にはマネできないのでは・・。同世代のスーちゃんの瀕死での決死の葉・仙台駅には、いまだ復興を願うポスターがはためいている。「あの時からくじけることはなかったと、子供たちには伝えようではないか。」あの日、23000人がいなくなりました。私の友人も何名かおります。しかし悲しみの外に、今回の天災は私たちに試練を残したと想いたい。自分より他人を思う瞬間があるうちは、自分の生命より他人に生きて欲しいと思う瞬間をココロに持ち続けるうちは、政府の腐敗とは関係なく国民は世界から畏敬の念をもたれるでしょう。そろそろ良い社会のためにガチンコ勝負いきませんか。

  3. rityabou5 より:

    この件に関しては複数の要因があると思います。
    松岡氏の指摘されている内容も大事ですが、私はメディアに注目したいです。

    政治が腐っていく原因の1つはマスメディアのレベルの低さです。
    ヒトラーがマスメディアを活用して人心をコントロールしたのは有名ですが、
    マスメディアはそれだけの力を持っています。
    「自民から民主への政権交代」にもマスメディアは大きく関わっています。

    さて、自民政権の時代、マスメディアはどんなニュースを流したでしょうか?
    「漢字の読み間違い」「カップラーメンの値段を把握していなかった」
    こんなニュースが流れていました。こういうニュースは楽です。楽チンです。
    「漢字を読み間違えました」なんてニュースなら小学生でも作れるでしょう。

    では麻生内閣の実績を見てみましょう。

    各省庁に不要な政策を見直す「政策の棚卸し」で5500億円の無駄削減を実現
    公益法人から1076億円を国庫に返納させることを決定
    国家公務員のボーナス減で740億円節約 人勧完全実施で
    省庁の娯楽費廃止 行政コスト557億円カット

    これだけで『8000億円近くの無駄削減』です。他にどんな実績があるでしょうか。

    改正国家公務員退職手当法が成立。在職中の不祥事発覚で退職金の強制返納が可能に
    社保庁のヤミ専従問題で現役・OB計40人を刑事告発
    「非正規」支援へ雇用促進住宅3万戸供給
    事故米不正転売の次官ら幹部25人を処分。農水相は報酬自主返納
    出身省庁による「渡り」あっせん禁止の明記検討
    不正経理防止法案提出へ。公務員の裏金づくりに懲役3年

    このように素晴らしい実績を残してもニュースは『漢字を読み間違えました』……
    これで国民に『麻生内閣は素晴らしい』と思えという方に無理があります。

  4. uhohoi2011 より:

    ガチンコ勝負いきたいですね。北海道東北地方知事会でビジョンを出してくれないでしょうか。宮城県沿岸部は、北東日本一帯への海の玄関口としても機能する街づくりを行うとか。グリーンツーリズムの取り組みはどうなったんでしょうか。

    何が一流かの議論は、強み(と自信の拠り所)を決めるために大切ですよね。ただ、議論ができるのか、大いに不安です。気がかりなのは、提言のような人文系の話題での、今の思索をめぐる雰囲気です。

    ときに、制度認識の面で不可だ。実証性において不可だ。という難癖がつきなねない。そして、ぽしゃってしまう。そもそも批判は、分野を同じくしながら、異なる見解が出るときに行う検証作業のはず。リカードとマルサス、ルーマンとハーバーマスのような間柄です。

    何か種が落とされたら、他分野は、補強して、実際に可能性を探らないと。シュムやケインズと同時代を生きた社会学者のウェーバーが、宗教と経済を結びつける切り口(と懸念)を提示したようにです。

    ムラ社会が育んできた細やかな感性が、私たちが誇るべき一流の強みだと思います。が、他面、他のムラを貶めて自らを良く見せる、また、異なるアプローチで触れられることに反発するような精神性はネックではないかと。

    良くするぞー と人が動けば、まずは、「ありがとうさぎ~ ぽぽぽぽ~ん」が、3.11以降のスタート地点であることを思い起こしたいものです。

  5. zghjkol より:

    私たちは日本人なので、議論に負ければ従う習慣は別にありません。企業なら経営者に従わないなら頸ですが、国会議員の主人は国民は何にも従う必要はありません、言い負かされても陰口を言い面従腹背をするのが習慣ですし何のペナルティもありません。現代社会だと別にそういう人とはつきあわなくても生きていけます。
    これによって仲間内の阿吽の呼吸の小集団がいたるところで出来そういう集団から出た政治家は議論などしません、自分達の思うようにしたいだけです。

    利害の対立が起きた時に説き伏せられて不利益を被ることにその集団は我慢が出来ないのです。

    日本人に民主主義は無理というのは明治の昔から言われてきました。大陸系の人と違って言葉とか約束より、自分を取り巻く場の雰囲気の方が大事な人種なんですから。

    政治家が三流なのは国民が民主主義に向いていないからです。災害の時に強いのは、やるべきことに異論が出にくい事で場の雰囲気が造成されやすく団結しやすいからのようなきがします

  6. ibukuro333 より:

    政治が三流であるのは、当然ですが私たち国民が三流だからです。なぜなら政治家を選ぶのは国民だからであり、私たちは結局、自分たちに相応しいレベルの政治しか行えないのです。
    国民が一流で政治が三流とは、おめでたいとしか形容できない表現です。
    ただ、国民が三流であるのは日本だけではありません。ろくな議論もないまま、原発廃止を打ち出したドイツも同様でしょう。
    人間が人間である限り、政治が一流であるなんてことは殆どありえません。人間は俗世間の生き物なのですから。
    だから身分府相応に政治に一流を求めること自体がそもそも間違っていると思います。
    私は政治は最悪でなければ構わないと思っています。最悪、例えば北朝鮮やジンバブエなどの政治がよい例でしょう。将来経済的に破綻することが予測される我が国ですが、世界には破綻しきった国がいくらでもあります。ソマリアのように無政府状態の国すらあります。日本はこのままでよいとは決して思いませんが、この国は経済的な破綻が予測されてもなお、世界的にはかなり恵まれている国なのです。