冷静かつ深みのあるエネルギー政策論を - 澤 昭裕

アゴラ編集部

二元論ではないエネルギー政策
東日本大震災に伴う福島原発の事故、計画停電などを契機に、エネルギー政策が国民的話題になってきている。ここ最近、温暖化対策に引きずられる形でCO2対策しか頭になかったエネルギー政策が、「安定供給」の側面から見直されようとしているのは、よいことだ。

しかし、ほとんどのメディアが、脱原発か原発推進かという二元論の短絡的な構図を描こうとする。そうして、自然エネルギー推進を主張する人は脱原発、逆に自然エネルギーが進まないという見方をする人を原発推進の立場であるに違いないという先入観で、論者に対してレッテルを貼り付けるわけだ。私も、後者のレッテルが貼られているわけだが、事はそう単純ではない。


図をご覧いただきたい。原発に対する態度と自然エネルギーに対する見方とは、同じ軸上にあるわけではなく、別の軸の組み合わせだと考えるほうが正確だ。世の論者は、図のように少なくとも4つの象限に、ばらついて存在している。例えば、原発を推進することを基本とするが、自然エネルギーも同時に推進するとする第一象限には、現在の政府のエネルギー基本計画がある。また、私などは、原子力はこれから実態として相当厳しい状況となると認識しており、化石燃料を再評価する必要があると唱えていることから、第三象限と第四象限の境目辺りにいると自己認識している。ところが、短絡的なメディアにかかると、いつも右下隅のあたりに位置付けられてしまうので、苦笑してしまう。

そもそも、さまざまなエネルギー源それぞれに倫理的に正邪があるのだろうか。原子力であろうと、太陽であろうと、それらのエネルギーを電力に転換して、日常生活や経済活動に利用しているだけなのであり、「悪魔の火」だとか「神からの思し召し」だといった価値観を持ち込んでも、現実的なエネルギー政策を立案することはできない。そうした議論をすることは無駄だとは言わないが、経済社会のインフラとして毎日・毎時間電力を供給する責任を担っている政府や電力会社からすれば、そのような議論に関心を示している暇はないはずである。

エネルギー源ごとに異なる入手可能性や経済性、安全リスクなどのメリット、デメリットを勘案して、どのようなポートフォリオを組むことが経済社会に混乱をもたらす危険性を最小化できるかを考えることに忙しくなければならない。倫理的な彩りを持つ議論はすぐに感情的な論争を招いてしまうが、それによって重要なインフラである電力供給に支障が生じてしまえば、われわれ自身に跳ね返ってくる。今は、冷徹な分析と現実的な将来計画策定が可能になるよう、落ち着いた議論の場が必要なのである。
 
今、官邸がやるべきこと
エネルギーの供給責任を担っているという自覚がある政府・官邸であれば、今やるべきことは次の三つだ。少なくとも、自然エネルギー推進にかこつけた政権延命策でも、「有識者」懇談会でもない。

第一に、自然エネルギーの導入拡大(シェア20%)が本格化するまでの間、直近3-5年間、いったい自然エネルギー以外のエネルギーは何でまかない(原子力はどうするのか、化石燃料は確保できるのか)、どの程度コストが上昇し、どの程度安定的に電力が供給されることを期待してよいのか。こうしたことについての責任あるビジョンと工程表を、政府が提示すべきだ。民間企業は、そうした確実な電力供給計画が提示されなければ、投資を逡巡し、海外生産を増やしていくしかなくなる。

第二に、定期検査で停止する原子力発電所の再稼働について、政府・官邸が責任を持って自治体を説得することである。現政権は、脱原発に舵を切ったわけではない。しかし、菅総理自らが浜岡原発の停止を「要請」した結果、他の自治体も自己が抱える原発の再稼働にOKが言えなくなってしまっている。原子力政策の転換をしたわけではない官邸は、自ら責任を持って浜岡以外の自治体に対しては、安全の保証をすることで再稼働を「要請」しなければならないはずだ。その責任を回避している官邸は、原子力政策をどうするべきかという厳しい議論もしておらず、自治体にその判断を押し付けようとしているとしか見えない。何もしなければ、電力供給不安による日本経済への影響はだんだん大きくなる。そろそろ官邸も腹を決めるべき時期だ。

第三に、原発被害者に対する損害賠償について、官邸は東京電力の陰に隠れて逃げ回るのではなく、被害者に対して東京電力とともに連帯責任を負うべきである。被害者にとってみれば、いつ法的整理されるかわからない東京電力だけが賠償義務を負うというのでは、安心どころか将来の不安ばかりがつのる。政府か東京電力か、どちらがどれだけ賠償責任負うのかについては、両当事者間で司法プロセスも使いながら、あとで議論すればよい。

官邸は、福島原発の事故処理について、「政治主導」の名の下に、現場の対応に任せるべき点まですべて仕切ろうとして危機管理全体に失敗しているとしか思えない。そのうえ、その結果として上記のような本当にやるべきことがなおざりになっているとしたら、もう腹立たしいを通り越して悲しくなってしまうと言わざるをえない。
(澤 昭裕 NPO法人国際環境経済研究所(IEEI)所長)