人の象徴機能から考える放射能の表象イメージ。「何故、放射能はスーパーセンスとなるのか」 - 宮崎 圭輔

アゴラ編集部

今回の原子力発電所の事故により、人々の間では放射能による不安や心配の声がたかまっているようです。私は放射線医学の専門家ではないので、現状の事故による放射線・物質の健康被害の有無や危険性の程度について言及することは到底出来ません。ですが私個人としては現状アナウンスメントされている専門家の方々の意見を見聞きして(作業員の方々の不意の事故を除いては)今は安全だと考え判断しています。この考えに異論のある方はおられるでしょうが、これは私個人の判断ですので非難は免責していただきたいと思います。
 
さて安全と判断している私ですが、仕事の命令でも何でも良いのですが福島原発の近くに住むようにと言われたらどう感じるのでしょうか。たぶん、ただ福島県内にいるだけなら平気だとおもいますが、事故のあった原発半径20キロ圏内なら、何やら少し心配だなぁと思うかもしれません。5キロ圏内なら、正直言ってかなり不安を感じるでしょう。早く帰ることを日々望んでいるに違いありません。
 
私は安全だと確信に近いほど考えているのに、何故不安に思うのでしょうか?やはり肉体に備わった生物学的な未知のセンサーが危険を潜在的に察知しているのでしょうか?それとも心の奥底では専門家がアナウンスメントする情報に疑いを持っているのでしょうか。
 


この放射能に関するこれら過剰な「不安」に対して、池田博士は原発事故による放射能漏れという新規なリスクに対する反応を考察して、カーネマンのプロスペクト理論における「変化率への反応」でご説明されています。自然界では暗闇、外敵、天災など外部からの危険に選択的注意を行う機構としてこの新規な変化への反応は有効です。何より反応速度が良く、大は小を兼ねるように安全を確保できる。個体を防護するこの本能的なメカニズムを、私達は古の動物時代から受け継いでいるのかもしれません。非情に進化心理学的な意味でも理にかなっていると思います。
 
私も同じく上記メカニズムが今回の放射能への過剰な不安に関係していると考えています。ですが正直言ってこれだけでは、どうも私は腑に落ちない。この理論で説明される理由以外にも放射能に対する人々の過剰なまでの不安の原因となる心理学的な理由はないのでしょうか?
 
私は今回の放射能への反応を、「象徴機能」の観点から考えています。象徴機能とは心の中で想起する事物の一般的なイメージです。例えば「カップ」は個々の対象では様々な構造的な違いがありますが、ある一定の形態特徴を満たしていれば同じ「カップ」という音韻(記号)によりラベル貼りされて一般的な表象(イメージ)として認識されます。つまりこれが事物の意味・概念です。これは言葉に限らず、身振りなどの非言語的ジェスチャーにも備わっています。大脳損傷性の失語症の多くでは脳内の言語関連領域における神経構造の破壊によりこのシニフィアン(記号)とシニフィエ(意味・概念)の間で連結の離断が生じます。カップを見て、それが何であるか意味は理解できるが、言葉として表出できない状態です。
 
古くから、心理学的な構成概念として語られていた「象徴機能」ですが、近年の神経科学の発達により神経学的な基盤を持つことがある程度明らかになりつつあります。乳児期から成人に至るまでに、自己の体験として入力される様々な感覚・体験情報を脳内の記憶ニュートラルネットワーク構造として収束させ、表象時にはその神経活動パターンを再起させ、概念としての表象認識を可能としているとのことです。

例えば「カップ」であるなら触れたときの陶器特有の触覚、視覚的な形態特徴、硬質な音など、様々な対象と自己との相互作用の間で得られる基本的な感覚情報が融合して記憶体系を形成していると考えられます。また「刃物」なら怪我をした時に得た痛覚や内的な恐怖なども含まれるかもしれません。自分はそれら基礎的な感覚記憶を融合して出来た低次な意味/概念がさらに重複するように連結して、高次な意味/概念も生まれるのでは?などと勝手に推測しています。もちろん何故、言葉という記号単位でラベル貼りされるように記憶情報が意味/概念としてパッキングしているのかは謎ですが。
 
さて、では「放射能」の意味/概念はどのように形成されているのでしょうか?それを考えるには放射能の特性を考える必要があります。
 
放射能は視覚的に見ることは出来ません。もちろんレントゲン撮影などで体験しても炎や刃物に触れるような実感としての感覚は得られません。また放射線特有の崩壊現象や半減期なども、理屈では頭で理解できても日常体験可能な物理現象とあまりにかけ離れていて、どうもイメージが難しいものばかりです。そもそも放射能の被曝を本当に身体に影響あるレベルで体験したことのある人は広島・長崎の被爆者やチェルノブイリの被爆者など凄く限られた人数だと思います。放射能をイメージしようにもデータ参照すべき自己の記憶体験は皆無に等しいのではないでしょうか?
 
放射能の他にも見えない脅威に病原菌やウイルスがあります。そして見たことのない事物に恐竜などの絶滅動物があります。しかし前者は風邪や食中毒時の苦しみや嘔吐感などの体験記憶を無理やり参照してイメージ(表象)することもまだ可能です。後者も、身近な動物の10倍やら、トカゲの大きい奴など体験記憶により形成された概念を無理やり使いまわして拡張することでイメージ(表象)可能といえば可能です。
 

では、放射能はどうでしょうか?チェルノブイリの事故映像や原子分子が飛び交う映像を無理やり思い浮かべことは出来ますが、どれも自己が体験して得た記憶情報からはかけ離れています。チェルノブイリ事故の防護服映像や被爆者の写真は、放射能事故の情報であっても、放射能そのものを表しているわけではありません。もしかすると放射能という言葉の表象概念は存在しないのではないでしょうか?いや厳密に言うと存在はしていても、二次的に得た参考情報をかき集めた、急造のハリボテ概念の可能性があります。だから一度、不安や恐怖が生じると自己が過去に経験して得た記憶体系の中に情動を吸収出来ないのかもしれません。要は、放射能ってなんだか上手くイメージできないので不気味だという感覚です。そのために過剰な恐怖や不安が増殖する。そもそも放射能に関する情報もネガティブなもので占められていますのでなおさらでしょう。だから放射能はスーパーセンスになりえる。
 
フロイトやジェンドリンがカウンセリングの中で、クライアントに自己の潜在的な不安や恐怖を、「言葉」で表現させることを重要視していたのは有名な話ですが。言葉を担う意味/概念の記憶ネットワークには旧皮質系から生まれる情動を記憶の中に吸収すべき働きがあるのかもしれません。新規に生まれた情動体験を今までに自己が経験した情報パターンとフィードバック参照して分析するのではと私は勝手に推測しています。

(宮崎 圭輔 言語聴覚士)