ニューヨーク州議会は、保守派や多くの宗教団体の強硬な反対を押し切り「同性結婚合法化法」を可決した。全米で六番目、これまでの最大州での合法化である。大揉めに揉めたこの法案は、真夜中まで続いた折衝で、同性同士の結婚の祭式を拒否する教会を訴訟から免責すると言う妥協案が成立して可決された物である。
土曜日の未明に法案が可決されると、マンハッタンのゲイコミュニテイーは歓喜の坩堝と化したと報道は伝えた。同性結婚の合法化反対の有力団体の一つであるカトリック教会に属しながら、早い時期から自ら同性愛者であると公表して来たニューヨーク市議会のアイルランド系女性議長は、このニュースを耳にするや否やブルンバーグ市長の同席を求めて記者会見を開き、涙ながらに喜びの声明を発表した。
そして迎えた翌日曜日。この日は偶然にも恒例のゲイプライドパレードの日に当たっていた。メディアによると、今年のパレードには沿道に約200万人が集まったと言う。5番街36丁目からスタートしたパレードは、同性愛者が多く住むグリニッチビレッジに近いクリストファー街まで延々と続く。この日のマンハッタンの雑踏と興奮振りは桁違いで、興味本位に行進を覗きに出た私など、自宅から目と鼻の先の行進出発点にも近寄れない有様だった。抑えられていた物が一度に爆発したのであろう。
同性愛者団体の活動の象徴であるレインボーフラッグ(下図参照)を翻し、同性愛者に独特の多彩な服装の参加者が、踊りを交えながら5番街を行進するさまは、慣れない人には異様に見える光景である。
同性結婚の合法化は、同性愛者がお互いの愛情を結婚という形で結実できるだけでなく、納税、健康保険、社会保障、遺産相続、養子縁組など多岐に亘る制度の恩恵を受ける事が可能になるだけに、歓喜の声を挙げて街を練り歩く気持ちも解らないではない。
私が初めて米国の土を踏んだ1964年は、人種や性別による差別を禁じた公民権法が可決された年であった。その後、差別の概念は急速に拡大し人種や宗教による差別から男女の違いや年齢による差別、同性愛者への差別を禁止するだけでなく同性結婚を合法化する時代を迎える迄に至った。米国社会の価値観の変化は想像も出来ない速さだ。
少し旧聞に属するが日本の同性愛者の数は、2007年現在で274万人(20-59歳人口比4%)だと言う。こう言うアンケート調査の結果を鵜呑みにすることは出来ないが、日本では多くの同性愛傾向を持つ人々が、その偏見から自身が被る不利を考慮し、同性愛者であることを必死に隠している事を考えると、実際の数はこれより遥かに多い筈で、それらの人々の声の小ささは、日本の同性愛者の置かれた状況を物語る。
同性愛指向について「私にはそういう趣味はない」といったような言い回しをすることが多いが、米国では同性愛は性的指向の一つで、趣味でも個性でもなく人の根源的性質だとする学説が有力で、そのために、同性愛である事を理由に差別する事は公民権法違反だと考えるのが主流になった。
私自身、同性愛の友人を持ってはいるが、子供達の世代に比べると同性愛者への理解は薄い事は自覚している。価値観の違いは世代だけは無い。米国の友人仲間でも、東洋に生まれ育った友人には同性愛者への理解を示す人は少ない。寛容を特徴とする文化に育ちながら、同性愛者に限らず、HIV感染症やエイズ患者、ハンセン氏病患者、ホームレスなどに対する差別など、東洋では異なる者への寛容さに欠けるのは何故か?私には確たる回答はない。
偏見は理由が無いだけに、取り除くのは難しい。そして、多くの偏見は永い間の社会的慣習に根ざした物が多く、守るべき伝統と、改めるべき因習を区別する事は意外に難しい。
その証拠に「インド独立の父」と讃えられるマハトマ・ガンディーでさえ、カースト制度を理想的な分業体制であるとして擁護した。その背景には、下から2番目のカースト「ヴァイシャ」に属するガンジーは、不可触民を5番目のカーストに組み入れる事には賛成でも、カーストその物を廃止する事には反対する事で、自分の身分の格上げを狙ったとも言われている。
それに対し、カースト制度の最上位のブラーマン出身のインド初代首相のネルーは、不可触民出身の弁護士アンベードカルに初代法務大臣就任を依頼し「不可触民制の廃止」をインド憲法に盛り込む事に成功した。然し、身分差別廃止の声は遅々として民衆に膾炙せず、アンベードルは死の2か月前に、彼の属したマハールの人々約50万人と共に差別の無い仏教に改宗した事実は、社会の悪しき因習を法律だけで無くす事の難しさを示した如実な例である。