2009年の米国に学ぶ 地デジで日本の放送サービスは変わるのか - 小池 良次

アゴラ編集部

今月24日、日本のアナログTV放送も終了する。テレビ局は“地デジ化”のキャンペーンを派手に展開していが、それによって一体なにが変わるのか。約2年前に地デジ化を終えた米国の状況を踏まえながら簡単に分析してみたい。

■HD商業実験の不振が停滞を生む
米国の地デジ化は大小2回の延期を経て、2009年6月に終了した。10年以上に渡る地デジ移行期間を通じて、米テレビ業界と政府および連邦議会は対立を続けた。特に、企業体力がない地方の独立テレビ局は、以下のような理由で地デジ化に強い難色を示した。

1)デジタル化の新規投資は、地方テレビ局にとって負担が大きい
2)HDTV番組は、広告収入増や視聴者増加を保証するわけではない
3)地デジ化によって新サービスが生まれるわけではない


当初、米国の地デジはHD(高精細番組)放送の実現が目標だった。しかし、1999年にワシントンD.C.などで始まったデジタルHD実験は人気がなく、テレビ局の意欲を大きく後退させる一方、上記の不満が表面化した。

同商業実験が不振に終わった理由は、いくつかある。まず、当時デジタル・チューナー付HDテレビは数千ドルで、とても一般家庭に普及できる価格ではなかった。一方、CATVや衛星TVなどの有料TVサービスでは、デジタルSTBの普及が始まっており、地デジ化は新鮮さがなかった。

また、HD番組に対するユーザーの誤解もあった。たとえば、HD対応の大型テレビを購入したユーザーが、既存の放送(SD)を見て「画面が荒くて見にくい」とクレームすることがあいついだ。これはデジタル化とHD番組を混同している例で「デジタル化すればすべての番組が高精細になる」と勘違いしている例だ。こうしたクレームは地デジだけでなく、CATVなどのデジタル化でも発生している。

なお、今世紀に入ると地デジ化の主たる目的は、モバイル・ブロードバンド用の周波数確保となり“放送業界と携帯業界の対立”も表面化する。両業界の対立は、現在も続いている。

■CATVに負けた地上波TVのジレンマ
連邦政府や議会は、テレビのデジタル化によって地上波テレビは新時代を迎えると唱えた。しかし、テレビ局は自分たちの厳しい環境をよく承知していた。

米国では80年代にCATVが広く普及し、その後90年代には衛星TV放送が同市場に参入し、激しい視聴者獲得競争を展開していた。有料放送では、多チャンネル化、多言語放送、オンディマンド番組などで高付加サービスを追求していた。

地上波テレビは、こうしたサービス革新に乗り遅れていた。彼らは議会に圧力をかけ、地上波番組の再送信をCATVや衛星放送に義務づける「マスト・キャリー法」を成立させ、再送信料で収益を確保したが、技術革新の投資には消極的だった。

つまり、地デジ化によってHD放送や多チャンネル化ができるといっても、HDを含め1000チャンネル近いサービスを提供しているCATVに勝てないことは、地上波テレビ局自身がよく承知していた。にもかかわらず、デジタル投資を求める政府や議会に地上波テレビ業界が反発するのは当然の成り行きだった。

「地デジ化で、新サービスは生まれるのか。それによって増収増益が見込めるのか」と文句を言うテレビ業界に対し、連邦政府や議会は「サービス開発はテレビ局自身が考えること」と反論した。

■米国版ワンセグのサービスも停滞
地デジ化により登場するサービスとしてHD番組のほかに、携帯向けTV放送が期待されていた。これは日本のワンセグ放送と同じで、テレビ塔からの電波を携帯で受信して楽しむ。ただ、この米国版ワンセグ放送“Mobile DTV”は、韓国勢が激しい規格争奪戦を展開し、これに欧米勢が反発する混乱状態が続いた。

具体的には、韓国LG電子などが「MPH方式」を提唱する一方、サムスン電子は「A-VSB方式」を、仏トムソンは「ATSC-M/H方式」を提案し、デジタル・テレビの技術方式をまとめている米ATSC (Advanced Television Systems Committee)内では、3方式のいずれに規格を統一するかで議論が分かれた。この規格主導権争いは数年に渡り、最終的にATSC-M/H方式が承認されたのは、結局2009年の地デジ化後となった。

ちなみに、正式承認後も、米国版ワンセグ放送は低迷を続けている。携帯向け放送の振興組織であるOMVC (Open Mobile Video Coalition)によれば、今年には米国の主要都市でMobile DTVが始まると言われているが、一向に普及しないのが現状だ。

■安易な多チャンネル化で失望が広がる
地デジ化は“ゴーストがなく、以前よりくっきりする”、“地デジ放送の番組数が増える”というメリットがある。ただ現実問題としては、安いデジアナ・コンバーターを付けたアナログ・テレビでは逆に画質が落ちてしまうことが多かった。

また、地デジ化でチャンネル数が増えたのはよいが、財政的に厳しい米国の地方テレビ局は天気予報や交通情報などの安易な方法でチャンネルを埋めた。おかげで、地デジ化以降は、天気予報や交通情報のチャンネルばかりが増えた。

加えて、静止画で局名を表示するだけの音楽チャンネルなども生まれた。米国のデジタル衛星ラジオならCDレベルの高音質で数百チャンネルの視聴が可能だ。地デジで、テレビ局が音楽を流すのは“安易”を通り越して“滑稽”とも見える。

こうした手抜き多チャンネル化は、サービス開発意欲のない地上波テレビ業界の疲弊ぶりを視聴者に見せつけることとなった。

■ブロードバンド放送が新たな競争相手に
2009年、米国の地デジ化でも放送局は「新時代の到来」を華々しく訴えた。そして約2年たった現在、地デジ化による新時代はいまだ訪れていない。逆に、ネットフリックス(Netflix)やフールー(Hulu.com)などブロードバンド放送(OTT-V)の台頭で、ますます厳しい状況に陥っている。

米国ではブロードバンド放送の視聴時間が伸び続けており、それに伴って大手広告主によるテレビ広告離れが続いている。しかも、地域ごとに細かく情報を露出させるローカル・オンライン広告が充実するにつれ、地方テレビ局の広告収入も蝕まれている。

その一方ではCATVやIPTV(閉鎖IP網を使ったCATV放送)が、iPadや携帯電話、PC向け番組配信を強化して、ブロードバンド放送と競争を開始している。残念ながら米国の地上波テレビ業界は、技術革新によるサービス開発競争でCATVやブロードバンド放送に負け続けている。

■日本の地デジは米国と同じ道を歩むのか
こうした米地上波テレビ業界の状況が、日本に直接当てはまるとは言い難い。まず、米国では有料放送サービスが、テレビ所有世帯の約9割に達している。一方、日本は衛星TV放送などを含めて有料サービスは5割前後といえる。つまり、日本はまだまだ地上波テレビが強い。

また、ハリウッドを頂点とする映画・テレビ制作産業が巨大で、世界規模の販売チャンネルをベースに大量の映像コンテンツを提供している点でも、米国は特異な存在だ。

大量のコンテンツ供給により、米国では200チャンネルを超えるHD番組、パソコンや携帯でも観ることができる、オンディマンド番組、電話サービスとの融合などが普及しているが、日本はいずれにおいても普及期に達していない。

正直、テレビを取り巻くサービス環境で「日本は5年以上米国に遅れている」というのが筆者の感想だ。こうしたテレビ・サービス後進国の日本では、皮肉にも“地デジは新鮮なサービス”かもしれない。

とはいえ、伝送方式がアナログからデジタルに変わったからといって、地上波テレビ業界が簡単に新サービスを提供できるわけではない。地デジ化を起点として、より多くの新サービス開発投資を続ける必要がある。その点は米国と同じだろう。

つまり、地デジ化を踏み台に、ブロードバンド放送との融合を目指さなければ、地上波テレビ業界の将来はない。

米国はブロードバンド放送が伸び、ノートパソコンやタブレット、携帯電話などで番組を視聴する「脱テレビ化」が急速に進んでいる。この動きは日本にもいずれ訪れる。そこでコンテンツとテレビ配信網を持つ日本のキー局が新サービス開拓に意欲を持たなければ、ますますテレビを取り巻くサービス環境は停滞を続けるだろう。また、系列放送局の統合による合理化とコスト削減も重要な課題となる。

こうして新サービス開発が失敗に終われば、日本は一体どうなるだろう。サービス停滞という負の遺産は結局「低品質のサービスを高い料金で買う」形で国民が担うことになる。こうした事態だけは避けたいと筆者は願っている。

(小池良次 在米ITジャーナリスト)