決断できない日本 (文春新書)
著者:ケビン・メア
販売元:文藝春秋
★★★☆☆
著者は米国務省の日本部長だったとき、「日本人はゆすりの名人」などと発言したとして更迭され、その後、国務省を退職した。この発言については本書の第2章で反論しており、共同通信に記事の削除を求めている。同社がこれを拒否した場合、訴訟を起こすものと思われるが、その場合は共同の敗訴はまぬがれないだろう。
問題の発言は、国務省の中で学生に対して行なわれたものだが、録音は禁止されており、発言を裏づける一次資料がない。「発言録」と称するものは、講義の2ヶ月以上あとになって学生が記憶を頼りに作成したもので、共同の確認取材に対して著者は「事実ではない」と否定しており、伝聞は反証にならない。
しかも、この講義を受けた学生は沖縄で反基地運動に参加し、基地のフェンスに「基地反対」の横断幕を掲げて写真を撮影している。彼らを引率したのは反基地運動の事務局長をつとめる弁護士であり、共同の記者も「反基地」の立場を明言している。彼らが誘導して、学生が著者の発言を歪曲した疑いがある。
本書の主要部分は、日米関係や基地問題をめぐる日本政府(特に民主党政権)の対応の批判である。沖縄の基地はアメリカの極東戦略に不可欠であり、特に中国の軍事的脅威が高まっている今、米軍の兵力を削減することは「危険なシグナル」を送る結果になるという。しかし沖縄が太平洋戦争の末期に本土の「捨て石」にされたことが問題を複雑にし、国は沖縄に対して強い態度でのぞめない。
普天間基地は伊丹空港や福岡空港に比べると危険ではないが、辺野古に移転することで日米政府が合意したのだから、それを予定どおり実施するのは当然だ。しかし辺野古の地元の政治家は、移転の早期実現を望んでいない。移転補償として毎年100億円以上の補助金が国から出ているので、問題を長期化させるために地元は移転に反対している、というのが著者の見立てである。
これを率直にいうと、地元は「合意を盾にとって国をゆすっている」ということになる。もちろん外交官がそういう言葉を使うはずはないが、彼の指摘はおおむね正しい。こういう「ゆすり」を許しているのは、本土の沖縄に対する罪の意識を利用する地元の政治家と、彼らに利用される左翼の「反基地」運動、そしてこれに振り回されて日米合意をぶち壊した民主党政権である。
しかし問題がこじれる根本的な原因に、著者は気づいていない。それは日本に実現不可能な「平和憲法」を押しつける一方、日本を極東における橋頭堡にしてきたアメリカの戦略である。空想的平和主義が沖縄の被害者意識と一体化して政治的なゆすりに利用される構図をつくったのは、占領軍の戦後処理の失敗なのだ。その意味で、基地問題はアメリカの自業自得かも知れない。