新自由主義の復権 著者:八代 尚宏 販売元:中央公論新社 (2011-08-25) 販売元:Amazon.co.jp ★★★★☆ |
いまこそハイエクに学べ 著者:仲正 昌樹 販売元:春秋社 (2011-08-26) 販売元:Amazon.co.jp ★★★★☆ |
民主党の代表選挙では「右派」が優勢のようだ。2008年の金融危機で「新自由主義は終わった」などと騒いだ人々も、その後の政権交代で行なわれた民主党政権の社民的な政策のさんざんな結果にうんざりしたのだろうか。それに合わせたわけでもないだろうが、今週は自由主義を再評価する本が2冊出た。
八代氏は小泉政権の経済財政諮問会議で民間議員として労働政策の改革を主張したが、結果的には日本的雇用慣行を守ろうとする労組と厚労省に阻まれた。これ以外にも、小泉政権で掲げられた改革を検証し、郵政民営化以外はほとんど実現しなかったことを明らかにする。これが現在の経済停滞の大きな原因だ。
他方、カナダでは90年代に同じような改革を掲げて財政危機を脱却した。日本との大きな違いは、NAFTAなどの市場開放によって成長率を引き上げて歳入を増やす政策を取ったことと、歳出削減を政治主導で優先順位を決めて行なったことだ。このとき社会保障も聖域にしないで削減し、年金給付も減額した。日本のように全員の合意を得ようとすると何もできない。
八代氏が書いていることは「新自由主義」という特定のイデオロギーではなく、ごく標準的な経済学の結論だが、日本では強い指弾を浴びる。具体的な政策以前に、このレベルの感情的な反発をいかになくすかが重要だろう。この点で、自由主義の教祖ハイエクを思想史の中で位置づける仲正氏の本もおもしろい。
彼によれば、ハイエクは思想史の専門家からみると、あまりにも「常識的」でおもしろくないという。彼の思想は「新」自由主義というより18世紀のヒュームやスミスなどのスコットランド啓蒙思想をそのまま20世紀に持ってきたような素朴なもので、自由経済の当たり前の原則を述べているようにみえるからだ。
しかし仔細に読むと、ハイエクの思想は古典的な自由主義と微妙に違う。彼は自分ではlibertarianに近いと言っているが、ノージックのように合理的な「強い個人」をモデルにするのではなく、不合理で怠惰で不完全な知識しかない人間像をもとにして、そういう「あまり強くない個人」でも何とか動く社会として市場社会(カタラクシー)を考える。
「自由放任主義」というイメージとも違い、ハイエクは晩年には法学の研究に没頭し、法の支配こそ近代社会のもっとも重要な制度だと結論する。これは国家が正義を決めると考える実定法主義とは違い、ヒューム的な慣習の中から立ち上がってくる「自生的秩序」としてのルールである。これに比べると議会制度は本質的ではなく、むしろハイエクは民主主義がポピュリズムに走ることを防ぐ「元老院」のような制度を考えていた。
たしかにハイエクの思想は現代の常識なのだが、それが日本では特殊な「新自由主義」として攻撃されるのは、法の支配という考え方になじみがないからかもしれない。特定の「弱者」を政府が裁量的に救済するのはいいことをしているように見えるが、非人格的なルールを決めて紛争を司法的に処理する法の支配は「冷たい」制度に見える。政治的にも、裁量行政のほうが人気がある。
自由主義は高邁な「正義」を熱く語って人々を熱狂させるイデオロギーではなく、凡人が集まったとき互いに迷惑をかけないで暮らすための常識である。自由とは理想でも目標でもなく、国家が個人の生活に介入することを禁じる消極的ルールにすぎない。しかし民主党政権の壮大な理想が幻と終わった今は、こうした近代社会の常識をあらためて確認することも必要かもしれない。