青山 永さんが投稿されたトイレを掃除するということの意味 - 青山 永ですが、私はトイレ掃除を金科玉条のように掲げる方々に辟易しています。日本はまるで、トイレ掃除が一種の宗教のように持ちあげられています。極端な例では子供たちに素手でトイレ掃除をさせている団体もあるようです。
トイレ掃除がそこまで素晴らしいという方々は、ぜひご自身の自宅のトイレもきれいに掃除してください。
毎回このトイレ掃除の話を聞くたびに「では自宅のトイレはどうなんだ?」と思ってしまいます。まさか自宅のトイレは母親や奥さんに掃除させておいて、会社のトイレだけをきれいにしていませんよね?そんな状況で「トイレ掃除でその人の人間性がわかる」なんて言うことはありませんよね?当然、自宅のトイレも会社のトイレもピカピカにしているからこそ、「トイレ掃除は重要」なんて言うんですよね?
なぜ日本の社長さんたちがトイレ掃除を宗教のように崇め奉るか、理由はわかりません。でももし、トイレ掃除そのものが人間の精神を鍛えるとか、その人の人間性を表すというのであれば、トイレ掃除などの家事を奥さんに押し付けている、大多数の中高年日本人男性は人間性に問題があるんじゃないでしょうか?会社のトイレと自宅のトイレに何の違いがあるんでしょうか?全く理解できません。見方を変えれば一種の女性差別でもあります。
私はトイレ掃除そのものは否定しません。よくある公衆トイレのように、汚れている状態では、気持ちよく使用することが出来ません。ですから、できるだけトイレはキレイにしておくべきであるということは全くそのとおりだと思います。しかしトイレ掃除そのものが人間性を表すこともなければ、トイレ掃除をすることで精神的に成長するなんてことは絶対にありえない、そう考えます。
私もその昔、中小企業に勤めていた時がありますが、その時はトイレ掃除を毎日やっていました。朝出勤するとトイレを掃除するのが私の仕事でした。しかし、私がトイレを掃除することは別に精神修行のためでもなんでもありません。単に清掃業者を雇うコストを支払えないから、従業員全員でやっていただけです。商社に務めたときは、清掃業者の方々が毎日ピカピカに掃除してくれていました。
多くの飲食店も同じ理由でしょう。トイレ掃除をすることで人間性を見て評価するとか、精神修行のためにやっているわけではなく、コストの問題でしょう。トイレ掃除はトイレ掃除であって、それ以上でもそれ以下でもありません。人間性とか、そんな高尚な理由を付ける必要のない、業務の一部でしかないのですから。