「ドジョウ」は日本を救えるか?-青年時代の横顔から探る。

北村 隆司

野田首相の船橋高校の後輩が書いたブログに「ずっと野田に投票してきた私だが、実は野田の政策はほとんど知らない。野田は政策を全く語らないからである。野田の駅頭挨拶の特徴はまったく演説をしないことにある。微笑みながら何度も何度もお辞儀をするだけである。ただ景色のように、そこにあるのがあたりまえのように、鎮座する大仏のように。船橋市民で野田に心酔する人はほとんどいないだろうが、彼を批判する人はまったくいない。熱狂はないが好感がある人を野田が目指したのならば、それは成功した。」とあった。


これでは,お人よしの立ちん坊に過ぎない。鳩山、菅と言う近来稀なノータリン宰相に続いて、無策の首相が生まれたのでは国民はたまったものではない。

中野孝次氏の「人は何を遺せるのか」と言う著書にこんな一節があった。「子供のときから、口の重いむしろ沈黙がちの人だったようだから、それだけに口数のすくないことの尊さ、沈黙の重みを良く知っていた。テレビ受けする現代の学者、解説者、政治家の殆どすべての人に当てはまる『早口、言葉の多さ、人の言い切らぬうちに言う、知らぬ事を知ったげに言う,嘲弄する物言い』等は、最も軽蔑するところである」

これは野田首相の性格描写ではなく、良寛和尚を紹介した一節である。なるほど、指導者に肝心なのはスタイルや弁論ではなく、自分のプリンシプルを持っているか、自分で判断して実行する勇気があるかどうかである。
「栴檀は双葉より芳し」と言う。そこで、野田首相の本性を知る為に、政経塾の同期生や、早稲田のゼミや語学クラスの級友の何人かに直接会って青年時代の姿を聞いてみた。

寡黙で地味、知識をひけらかす事が苦手な事は現在と同じだが、その半面、大変な読書家で「クイズ・グランプリ」と言うTV番組で優勝し、当時としては大金の100万円の賞金を手に入れた物知り博士でもあったそうだ。
卒業時には朝日新聞とNHKから採用通知を貰っていたが、ロバート・ケネデイーへの憧れから政治家を目指して「松下政経塾」の第1期生として入塾を決めたと言う。

愛煙家で日本酒好きの野田首相だが、女性を巡るスキャンダルとは昔から無縁で、首相の結婚式に出席した同級生によると、結婚の感想を聞かれ「してやったりの気持ちだ」と喜色満面語った首相の純真ぶりが印象に残ったそうだ。

入塾間もない1981年の春に、野田青年が級友に書いた手紙には「今、岩手県田野畑村での100キロ行軍から戻った処です。それでも、毎月30冊の指定図書読破の為に疲れる暇もありませんが、この道を選んで良かったと言う満足感で一杯です」と書かれていた。

その野田青年は、「辻説法」の大切さを説いた松下翁の教えを愚直に守り、駅前での「朝立ち」を1986年10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続ける意志の強さも見せた。

敬愛する松下翁の『無駄の排除』『小さな政府』『地域主権』と言う教えは首相の基本的な政治理念になっており、彼のぶれない性格からも、この理念を変える事は考えられないと言うのが友人達の一致した結論であった。
首相の理念と意志の強さは理解できたが,具体策が見えて来ないのが不安だ。老子は「太上、下知有之、其次親誉之、其次畏之、其下侮之(最も理想的な指導者は、部下から存在することさえ意識されない。部下から敬愛される指導者は、それよりも一段劣る。これよりさらに劣るのは、部下から恐れられる指導者。最低なのは、部下からバカにされる指導者だ。)」と説いた。

これを平たく言えば「子供達にボールを渡し校庭で自由に遊ばせると、夫々好きな方向にボールを蹴り出すが、ゴールポストを設けると、生徒は自然にゴールポストに向って蹴り出す」と言う例え話に通ずる。

増税だ借金だ、マニフェストを忘れるな、いや忘れろ等と理念も行き先も決まらないうちに、運転の仕方やスピードを巡って争いが続く日本の現状を考えると、指導者に求められる第一の仕事は、日本丸の方向を纏める事であろう。

野田首相がうすぼんやりとした印象を与えながら、なんとなくひとつの方向性を出して呉れれば、日本の将来にも光明がさす。

中野氏はその著で「ある母親に頼まれて、放蕩息子を教導するために息子と3泊を共にすごした良寛さんは、一度も説教をする事もなくその家を辞する事になった。辞するに際して頼みに応じて良寛さんのわらじの紐を結んでいた放蕩息子の襟元に、ぽとりと冷たいものが落ちた。息子が驚いて見上げると良寛が目に涙を浮かべ彼を悲しそうに見つめていた」と言う逸話も紹介している。

良寛さんがその涙で放蕩息子を目覚めさせた様に、野田首相が難題に追われる日本国民の胸を打つ逸話で、松下翁の教えた方向に国民の気持ちを纏める事が出来れば、立派な宰相である。
郵政や日本たばこの株の放出が真剣に検討され出した事が、どじょうがこの方向に向ってそろりと動き出した証拠であれば、大いに期待が持てる。

一方、此処で日本の大転換に失敗すれば、国民は首相の座右の銘である「素志貫徹(成功の要諦は成功するまで続けるところにある)」のチャンスを与えない事は確実で、「アイデアリズム・ウイズアウト・イリュージョン(幻想なき理想主義)」と言う、首相が憧れたケネデイーの言葉は、「理想なき幻想」と化してしまう。首相の今後を注意深く見守りたい。