QE3

小幡 績

米国中央銀行FRBが明日、何を打ち出すか。

もはやQE3が今回打ち出されると思っている市場関係者はいなくなったが、いつかQE3を打ち出してくれることを期待しているのが市場である。

なぜ市場はQE3に期待するのか。

そこに量的緩和の罠があり、米国が最も堕落した中央銀行なのである。


先のエントリーの要約に戻ると、これまで1と2のポイントには触れた。しかし、欧米の量的緩和といったときには、日本銀行が行った狭義の量的緩和、すなわち、中央銀行への当座預金の額をコントロールすることとは大きく異なっており、ポイントの1と2には関係が全くなかったのである。

彼らの量的緩和とは、まさに3と4のポイントであった。すなわち、市場で金融資産を直接買うことを目的とし、その額を予算などで特定することであった。日本銀行にとっての3と4は重要でなかった。あくまで、ポイントの1と2を実現するための補足的な要素だった。

つまり、日本銀行が行った量的緩和と欧米の中央銀行が行った量的緩和とは本質的に異なるものであったのである。

日本銀行と欧米の中央銀行の量的緩和は、ゼロ金利政策実施後、後がなくなり、さらなる緩和政策として導入され、結果として、ベースマネーあるいは広義のマネーの膨張という現象が起きた、という2点においては同一であるが、政策の意図も実際に行われたこと、そして市場への影響も、本質的に全く異なっていた。

すなわち、日本銀行は、デフレ脱却のために、インフレ率をプラスにするという意図を持ち、同時に景気回復のために最大限の金融緩和を継続し、拡大する意図があることを市場に知らしめるという目的で行われた。まさに実体経済を回復させるために最大の金融手段をとるということであり、金融政策の王道を極めた結果生み出された、奇っ怪で邪道に見えた新兵器が量的緩和であった。それは前人未踏の政策手段であり、中央銀行のまれに見る政策イノベーションであった。実際、日本銀行はオペレーションについては世界一の達人という評判が確立しているが、量的緩和も、できる限りの金融緩和の実現をオペレーションとして実現するための工夫から生まれたようにも見えた。福井氏や白川氏が日本銀行は世界一イノベイティブな中央銀行だというのも自虐的な独白ではなく、ファクトに過ぎなかった。
一方、欧米の量的緩和は何ら新しいことはなかった。日本銀行が実体経済しかもフローを改善するための金融政策として量的緩和を実行したのに対して、欧米は、金融資産市場の崩壊を防ぐために量的緩和を行ったにすぎなかった。

まず、2007年8月のパリバショックに対して、欧州、米国中央銀行はゼロ金利へ走った。欧州は銀行間取引が凍り付いたことから、短期の資金を徹底的に供給した。これによりベースマネーは膨らんだが、これはベースマネーを膨らませてデフレを脱却することが目的ではなく、金融機関の破綻により、金融機能不全に陥ることを防止したものであった。2008年のリーマンショック以降の米国FRBの行動も同じで、QE2という言葉が使われるようになったことによって、このときの措置が事後的にQE1と呼ばれるようになったが、証券化商品の市場が完全に機能不全に陥ったために金融市場の機能不全を解消し、金融機関、機関投資家を支えるために、金融商品を買い捲ったのであった。

つまり、欧米のQE1とは、実体経済の景気回復のためではなく、金融市場の崩壊を防いだものであって、マネーの拡大はその結果として生じたものであった。ここに中央銀行は、欧州では最後の貸し手であり、英国、米国では最後の買い手であった。もともとアングロサクソンの世界では商業銀行の融資よりも証券市場による金融が中心だったこともあるが、より米国のほうが、堕落した中央銀行に躊躇なく成り下がっていったのである。

この欧米の中央銀行間の微妙だが大きな差はQE2と呼ばれる第二段階の量的緩和においても顕在化した。2008年末から2009年3月までの緊急避難的対応、なりふり構わぬ金融政策と財政政策で、金融崩壊は回避されたが、2010年以降欧州ではギリシャ危機が起こり、ソブリン危機が現実のものとなった。

これに対し、欧州中央銀行ECBはギリシャ国債など、リスク懸念から市場で買い手がつかなくなった国債を購入した。しかし、ECBは一度も量的緩和を行っていないというスタンスを維持した。それは2007年以降、金融機関の機能不全、金融市場の金融機能の不全に対応して、金融機能を維持するために行ったのであってマネーを膨張させる目的はなく、むしろ、その膨張は回避したいというものであった。ギリシャ国債などを買う場合も、市場で買い手が殺到し値上がりしたドイツ国債などを中央銀行が買う必要はなく、それを売ることにより、トータルでの債券保有量を維持し、マネー供給量を維持しようとした。これに対し、中央銀行の財務健全性の観点から、リスクが膨らんだ資産構成を批判する人々もいたが、ECBにとってはむしろそれが狙いだった。リスクテイク機能が、金融機関、金融市場において落ちたことにより金融機能が不全に陥っているのだから、それを解消するために、中央銀行がリスクテイクしたのであった。このスタンスは、スペイン、イタリア国債を購入する今も変わっていない。財政負担は問題となるが、マネー供給量自体は問題にならず、むしろ、インフレ懸念を抱いているのである。

一方、米国FRBの姿勢はまったく異なった。2010年8月、バーナンキはジャクソンホールの講演でQE2を示唆し、10月から実行した。これは景気回復のためであったが、市場としては、単なるマネーの大量供給に過ぎなかった。米国国債は常に買い手がいたし、景気が悪化すれば、さらに買い手が増え値上がりするはずであった。したがって、米国のQE2は単なる金融商品、しかも買い手のあふれた米国国債の買い上げであり、市場にとっては長期金利の低下、投資のハードルの低下によるリスク資産である金融商品への資金流入を意味した。だから、国債買い入れ額が重要であり、その量が決め手となったのである。これこそ確かに量的緩和の名にふさわしいものであったが、結果として起きたことは、実体経済とは無関係にリスク資産市場の金融商品の価格が高騰することとなり、金だけでなく、綿花などの商品が暴騰することとなった。

これはイノベイティブでもなんでもなく、グリーンスパンと同様に金融市場の人々に賞賛されるために行ったリップサービスに実弾を添えたものであった。だから、米国中央銀行は欧州や日本と比べて、退歩した中央銀行と言えるのである。
今後、米国でQE3が行われるかどうかはわからない。堕落していなければ、QE3はおきないだろう。一方、欧州、日本では、量的緩和が今後起こる見込みはなく、リスクテイクをどこまでするかが焦点となる。欧州は、ソブリン危機が銀行危機にならないようにするために、リスクをとり続けるだろうし、日本は、実体経済の回復に資するために、成長基盤融資なる、またもや奇怪な事業会社に対する直接融資を行うという、またもやイノベイティブなことを行っているが、さらにこの路線をまい進し、さらに奇怪な歴史に残る手法を編み出してくるだろう。

だから、日本銀行の生み出した量的緩和と米国の量的緩和は似ても似つかないものである。

そして、リフレ派が主張する物価の上昇を目的としているのは、リフレ派が欧米の中央銀行に比して気合と大胆さが足りないと批判している、ほかならぬ日銀のみであり、欧州は反インフレで、米国は実体経済に関心がないあるいは及ぼす力がない(資産市場をバブルにすることにより実体経済にバブルを波及させることしかない)のである。