「いまさら聞けない経済学」の予習

池尾 和人

明後日のニコニコ生放送「いまさら聞けない経済学~お札を刷ればデフレは止まるのか?~ 」の予習を少ししておきましよう。ニコ生だけではなく、もちろん大学の授業を受けるときも、「予習」と「復習」が大切です。

まず、1.のテーマ「国の借金は増税しなくても返せる?-国はいくら借金しても大丈夫?」から。いくら借金を抱えていても、貸し手が返せと言ってこない限り、困ることはない。あるいは、貸し手が返せと言ってきても、その分を別の貸し手から借りることができるのであれば、困ることはない。要するに、貸し手がいる限りは、問題は起きない。


個人の場合には、高齢になって稼得能力が失われてくると、返済が見込めないことから、新たにお金を貸そうとする者は出てこなくなり、いつまでも借り続けることはできない。これに対して国は永続する存在なので、これと同じ理由から新たな貸し手が見つからなくなるということはない。しかし、別の理由から新たな貸し手が見つからなくなることはあり得る。

経済が成長し、国民の所得も増えている状態では、その増加速度(経済成長率)と同じテンポで国が借金を増やしていっても、まず何の問題もない(このとき、国債発行残高/GDPは一定にとどまる)。しかし、経済成長率を上回るテンポで国が借金を増やしていくようだと、いずれ限界が訪れることになる。たとえ国であっても、新たな貸し手を見つけることが段々と難しくなり、見つかってもより割高な金利を支払わなければ、貸してもらえなくなる。

これまでの日本では、経済はあまり成長していなかったけれども、国民の貯蓄率は高く、貸し手が多くいた。それゆえ、国が貸し手を見つけることは容易だった。しかし、高齢化が急速に進んでいる中で、国内の貯蓄は減少していっている。若者は貯蓄をしていても、引退した高齢者は貯蓄を取り崩しているので、相殺されて国全体としての貯蓄は減っていっている。こうした傾向が進んでいくと、国内に貸し手はいなくなる。

「国内で95%消化しているからOK?」ではなく、「国内で95%消化していられる間はOK」ということであり、いつまでそうした状態が続けられるかが問題になる。早ければ3~5年、遅くとも10年以内に、そうした状態が続けられなくなると見込まれていることが問題なのである。「金利は低いから大丈夫?」も同じで、「金利が低い間は大丈夫」ということであって、いつまで金利が低い状態を続けていられるかが問題なのである。

繰り返すと、いくら借金を抱えていても、貸し手が返せと言ってこない限り、困ることはない。困るようになるのは、返せといわれるようになって、しかも別の貸し手が見つからないときである。そのときにはどうするのか。海外に新たな貸し手を求めればいいだけなのかや、「埋蔵金」その他の問題については、これからの機会に。

次に、2.のテーマ「増税しなくても日銀がお金をばらまけばいい?-お札を印刷すればデフレは止まる?」について。この点についての誤解は、「お金」という言葉の意味を取り違えていることから生じていることが多いと思われる。金融政策によって「お札」の量を増やすことはできても、国民を「お金持ち」にすることはできない。

日常生活において「お金」という言葉は、いくつかの意味で使われる。もちろん1つには、貨幣(お札や硬貨)を指す意味で使われている。しかし、「お金を貯める・増やす」とか、「お金持ち」というときの「お金」は、貨幣も含むが、より広く財産とか資産を意味していると考えられる。金融政策は、前者の意味での「お金」を増やすことはできるけれども、後者の意味での「お金」を増やすことはできない。

中央銀行が貨幣(この場合には、正確にはベースマネー)供給を増やす最も基本的な手段は、国債の買い入れ操作(買いオペレーション)である。これは、中央銀行が民間の金融機関から国債を買い上げて、その代金として貨幣を渡すというものである。この国債の買い入れ操作を中央銀行が行うと、確かに民間の保有する貨幣の額は増えることになるが、保有国債の額は減ることになり、その資産総額(貨幣+国債の額)は変わらない。別に財産が増えるわけではない。

換言すると、金融政策は等価交換であって、それをどれだけ実施しても、国民の購買力が増えるわけではない。金融政策によって国民を「お金持ち」にすることはできない。しかし、「日銀がお金を刷ればよい」とか言っている人は、このところを誤解しているのではないかと心配である。日銀がお金を刷れば国民の購買力が増大するかのような錯覚に陥ってはいないだろうか?

金融政策によって、民間の保有する資産総額は変化しない、変化するのはその構成だけである。もっとも金利がプラスの間は、民間の保有する資産総額は一定のままでも、資産構成を変化させることによって金利水準に影響が及ぼせる。要するに、貨幣の割合を増やせば、金利を低下させられる。これによって民間の支出意欲を刺激する効果が生じる。

ところが、金利がゼロになってしまうと、もうそうした効果もなくなってしまう。その後は、いくらお札を刷っても(その裏側で、いくら国債を買い入れても)、国民の購買力が増えるわけではないので、民間の支出を刺激する効果は基本的になくなると考えられる。ここでの議論では、国債の発行残高は一定として考えていることに注意してほしい。金融政策は、あくまでも国債の発行残高を所与とした話である。

これに反して、中央銀行が国債をいくらでも買い上げてくれることを期待して、国が国債を増発して支出を増やしたり、減税を行ったりすると、話は全く別物となる。この話は、もはや金融政策ではなく、財政政策の話になる。そんな財政政策をやって大丈夫かというのは、1.のテーマに戻ることになる。

あと、基本的にデフレは「症状」だから、「デフレが止まれば景気はよくなる?」というのではなく、「景気がよくなればデフレは止まれる」ということだとか、物価水準と相対価格の関係とかは、これからの機会に。

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池尾 和人@kazikeo