スティーブ・ジョブズの伝記『 スティーブ・ジョブズ I 』(ウォルター・アイザックソン著ー講談社)を読み始めました。
ほとんどの内容は、ジョブズに関するおおよその書籍を読んでいる僕にとっては目新しいものではないですが、ジョブズ公認という意味で、同じエピソードでも大きく印象が異なることが多々あります。例えば、彼がAppleで Apple II、Apple IIIから距離を置きつつ自分のオリジナルとしての最初のプロジェクト(製品)にLISAと命名したことについて、彼が23歳当時の恋人に生ませた長女の名前であるというのが定説でしたが、それを今回初めてジョブズ自身の言葉で”本当”と裏付けています。
この伝記は上・下二巻で発刊される予定であり、上巻ではApple創業から、追放、そしてNeXTを経てPIXARでの成功による二度目の経済的成功に至るまでの話が綴られています。
起業家にとって、スティーブ・ジョブズが本当に特別な存在であることはいうまでもありません。特に、僕のように技術系のベンチャーを率いながらも、自身はエンジニアではない場合、テクノロジーとクリエイティブの交差をもって製品開発の信念とするジョブズの在り方は、自分にも優れた製品やサービスを開発し得る可能性がある、という心の縁(よすが)になるのです。
ジョブズは、Apple IIの成功によって急成長したAppleの中で、自分自身が最初から最後まで手がけることによって、より良い製品を作り上げることに執念を燃やします。それがLISAであり、その後のMacです。そして、PIXARの上場によって再び大金持ちになった後でも、その成功が自分の力ではないことを重々知っていただけに、やはりクリエイターとしての自分の力を証明するために、自分だけが生み出せる新しいプロダクトを必要としました。それがiMacやiPodであり、iPhoneやiPadでした。
ジョブズに憧れる経営者は無数にいますが、言葉だけではなく、これを俺が創ったんだ!と声高に強烈に主張できるプロダクトをモノにしないとならない。ジョブズは経営者というよりもクリエイターだからです。
僕自身もさまざまなサービスや製品(そして会社)を作ってきているし、いくつかはいまだに事業として成立しています。しかし、ジョブズの伝記を読んでいる今、やはり俺がこれを創った、みてくれよと、彼に(怖々としながらも)見せられるくらいのプロダクトを創る、そういうクリエイター魂を改めて奮起させています。
実はいま、僕にもそういうチャンスがきています。世界を変える、とまではいかないかもしれませんが、とりあえず日本のインターネットサービスのソーシャル化に大きく寄与する、大きなプロジェクトに携われるかもしれない。そういう機会を前にして武者震いしているのです。
ただ、最近では、こういう興奮を共有してくれる経営者・起業家と話す場が少ないのが残念です。世界有数の自動車大国である日本の若者が、自動車離れしているのは不思議な皮肉ですが、同じように ネット社会として飛躍するべきでありながら、スマートフォンでは韓国の後塵を排し、ネットビジネスでも中国や東南アジア諸国にも抜かれつつある今の日本の環境も皮肉です。携帯電話のゲームばかり創っていて、ジョブズにあやかっていると果たしていえるのか?独創性と革新性なくして、彼が果たして褒めてくれるのか?そう問いかけたくなる気持ちを抑えられない夜です。