ギリシャでは、結局「国民投票」は行われず、僅差ながらババンドレウ内閣の信任案も可決された。こうして、取り敢えず目前の危機は回避された。
もしギリシャが最後までEUの「包括支援案」の受け入れを拒否していたとしたら、ギリシャは国家として破産せざるを得ず、当然EUからも離脱せざるを得なかっただろう。結果として、ギリシャ国債を保有し、或いはギリシャの金融機関やその他の企業に貸しこんでいた独仏を初めとする世界中の金融機関は大損害を蒙っただろう。この影響はスペイン、イタリアにも波及し、EUの崩壊、ひいては世界大恐慌の引き金を引く事にもなりかねなかった。
しかし、当然の事ながら、最大の被害者はギリシャ国民だった筈だ。ユーロ圏を離脱すると、自国通貨ドラクマは、暴落するユーロに比しても更に暴落、想像を絶する大インフレが国民を襲っただろう。この国では、残念ながら汚職と不正、脱税は常識化していて、色々な「裏の道」が整備されており、大金持ちはこの「裏の道」を使って素早く手持ち資産を海外に逃避させただろうから、残された一般国民は更に悲惨な状況に追い込まれていただろう。
これまでは「大盤振る舞い」と言ってもよい状態だった年金は、当然支払い不能となり、高齢者は悲惨な晩年を送るしかなかっただろう。一方、若者はやけくそになって荒れ狂い、ストとデモを続けただろうから、街は荒廃、旅行者はギリシャを敬遠するようになり、稼ぎ頭の観光業も没落していただろう。こうなると、もう政府にも打つ手はなく、恐らくは極右或いは極左政党の台頭を許さざるを得なくなっていただろう。
にもかかわらず、何故ギリシャ人はさして危機感を持たず、楽観的な見通しの下に、「経済をより悪化させる」結果をもたらすしかないストとデモを繰り返していたのだろうか? 「生来楽観的な上に、日本人のように忍耐するのは苦手」という国民性もあるだろうが、「今直ちに苦しみを受け入れる以外に、より悲惨な苦しみを回避する方法はない」事を、本気で国民に訴えようとした人が誰もいなかったという事もあるように思えてならない。
それどころか、「借りた我々より、我々に金を貸した彼等(独仏)の方が悪い」「彼等(独仏)は返り血を浴びることを恐れており、従って我々を破綻させられるわけがない」という事が、街では公然と言われてきたという。
ディミトリス・カザキスという若者達に人気の経済評論家は、「何も心配する事はない。過去にもギリシャは支払い不能に陥った事が何度もあるが、最後には何とかなっている」とTV番組で語り、こういう発言も、楽観論の定着に一役買ってきたようだ。誰でも悲観論(死後の地獄の話)よりは楽観論(現世の悦楽の話)を聞いている方が心地よいだろうから、こういうコメンテーターが人気を博すのは当然かもしれない。
ギリシャは、はるかな昔に、民主主義の原点である「直接民主制」を実施した国だ。(今回のババンドレウ首相の「国民投票」案も、この精神に基づくものだと彼は本気で考えていた節がある。)冷静に考えてみれば、重要な決定については、その可否をその都度国民に直接聞くことは、決して悪いことではない。しかし、このような「国民投票」は、やり方を間違えるととんでもない結果をもたらす。
「国民投票」の対象は、抽象的なアイデアではなく、具体的な行動プランでなければならず、また一つの具体的プランに対しての可否を問うのではなく、複数の具体的プランの中からの選択を求めるものでなければならない。そうでなければ、国民は、単純に嫌なことに「反対」と言うだけだろう。
また、投票の前には十分な時間をかけ、それぞれの具体的プランの実現可能性と、それがもたらすだろう結果の得失を、十分に国民に説明しなければならない。そうでなければ、国民大衆は、「長期間続く苦い薬の投与」は拒絶し、「後先の事は考えない束の間の救済」を当然支持する事になるだろう。
しかし、現実は、そこまで事態が切迫する前に、辛うじて一応の収束を見た。独仏は、「ギリシャの国民投票は自動的に最悪事態を引き起こす可能性が大きい」と読んで、ババンドレウに「包括支援案をそのまま受け入れなければ、一銭も金は出さない」という最後通牒を突きつけ、「ギリシャが突っ張れば、独仏は妥協せざるを得ない」と高を括っていたギリシャ国民の楽観論を瓦解させた。
駆け引きをする術もなく帰国したババンドレウは、失望した国民の非難の矢面に立たされたが、「何故戦わないのか(何故もっと駆け引きをしないのか)」というスローガンを掲げたデモ隊も、「如何に戦うのか(どんな駆け引きをするのか)」については何のアイデアも持っていなかった為、現実問題としては、心配されていた「包括支援案拒否」のシナリオは当面はなくなった。
しかし、残る問題はギリシャの政局だ。「包括支援」を受け入れ、全就業人口の30%に近いと言われる公務員の削減や大幅賃下げが実行されても、これによって職を失い、或いは生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされる人達の不満を少しでも和らげるような政策が取り入れられなければ、ギリシャでは社会の混乱状態が長期にわたって継続し、欧州全体も不安な状態から長期間脱却することが出来ないだろう。
理想的なのは、政権与党のPASOK(中道左派)と最大野党のND(中道右派)が大連立を組んで「救国内閣」を発足させる事だが、現状では、何が原因かは分からないが、NDがPASOKの提案に対する反発を強めているらしく、なかなか難しそうだ。(そう言えば、日本でも、大震災の直後には実現しそうにも見えた「挙国一致内閣」は、遂に実現しなかった。)
そうなると、ババントレウの選択肢は限られたものになり、中小野党との連立しかないが、これでは結局は問題の先送りにしかならないので、何とかNDとの大連立を実現させて欲しいものだ。共に中道であり、政権党が左派で野党が右派の場合は、逆の場合と比べると連立は楽に思えるのだが、如何なものだろうか? 相手がNDであれ中小野党であれ、結局は自分の辞任との引換えで交渉をまとめるしかないのだから、首相が腹さえ決めれば出来る筈だ。(日本では菅首相が腹を括れなかった。)
意外に知られていないことだが、2500年以上も前に民主主義の基を作ったギリシャも、近年まではオスマントルコ帝国の支配下にあり、その後は軍事政権が続いて、近代的な民主主義国家になったのは、やっと1970年代になってからだ。従って、民主主義は実は未成熟で、与野党とも有力な政治家はほぼ二世、三世に限られ、国民はこの様な状態に満足していない。
経済的にも、ギリシャには海運業と観光業以外には競争力のある産業はなく、実態は農業国といってもよい。この点は、最近躍進が目覚しい隣国のトルコと比べて、甚だしく見劣りがする。
そもそも今回の財政危機も、もとはと言えば米国の投資会社が種を蒔いたものだ。ずっと以前に、ロンドン在住の米国の某投資会社の辣腕の女性社員(ギリシャ人)が、当時のギリシャ政府を焚きつけて巨額の国債を増発させているという話を聞いたことがあるが、ちょうどギリシャオリンピックが開かれようとしていた時でもあり、アテネの町はポルシェを乗り回す人達であふれ、ギリシャ中が投機熱に浮かされていた。
この辺の経緯は、「すぐに大きな家に移り住める」という夢を庶民に吹き込み、返せる筈もない借金を押し付けた米国の「サブプライムムローン」のケースと二重写しになって私には見える。政治、経済共に未成熟な国に、身の丈を大きく越えるような拡大政策を吹き込む「強欲な金融資本」の跳梁を許してきた事を、今更ながらに悔やんでいる人達は多いだろうが、今となっては後の祭りだ。今は、原点に戻り、問題点を一から潰していくしか手がないと思う。
ギリシャが先ずやらなければならないのは、公務員を削減して「小さい政府」を実現し、ここで発生する大量の失業者を、軽工業の育成や、農水産業の高付加価値化に振り向けることだ。国民の平均収入は一時的に相当に低下するだろうが、これがユーロ建でのコスト減をもたらし、これ等の産業の国際競争力の強化をもたらすだろう。
愚かな借金をしたのは国民ではないが、国民が投票して作ったその時の政府だ。だから、突き詰めれば、そのような政治家に投票した国民に責任がある。そして、何れにしても、国がしてしまった借金は国民が返すしかない。
借金を返す為には、小さな家に移り住み、あらゆる贅沢と縁を切り、よく働くしかない。国民性というものは一朝一夕には変えられず、従って「生産性」の急速な向上は容易ではないだろうが、「生産性」の裏返しである「生活水準」の低下は、「止むを得ない」という理解が得られる限りは、すぐに実現出来るし、確実な効果をもたらすものである。
それから、これまではこの国では「空気」のように「当り前の事」と思われてきた「汚職」や「不正」、GDPの30%にも当たるといわれている「脱税(ブラックマーケット)」にも、この際、ギリシャ政府は、断固としてメスを入れなければならない。人々の不満というものは、概して相対的な不公平感から生まれる。大きな苦痛を伴う「緊縮財政」を国民に強いるからには、「のうのうとしている連中」に目を瞑っていては示しがつかない。
政治家は、足の引っ張り合いは止め、「苦い薬を飲む」事についての国民の説得については、この際、全ての党派が一致して当って欲しい。そして、積極的な経済再建の具体策や、国民への富の分配のあり方についてのみ、大いに議論して欲しい。ギリシャがこういうやり方で危機を克服してくれれば、我々も「ギリシャでも出来た。日本でもやれる筈だ」という事が出来る。