オリンパス問題の本質

小幡 績

オリンパスについて書かねばなるまい。

オリンパスの事件は、一部で予想された通り、粉飾問題に発展した。何か裏がなくては、あの異常なM&A助言手数料、価値のほとんどない国内三企業の高値買収は説明できない。

だから、昨日の記者会見で、ようやく全貌が明らかになった、というところだと認識されている。

しかし、私には全く理解できない点が残っている。いやより重要な問題が残っている。

それは、そもそも、なぜ損失を先送りするために、隠そうとしたのか。そして、それをなぜ継続をしたのか。さらに、あそこまで、企業の根源を揺るがすまでに本業そのものに絡めて粉飾しようとしたのか。

オリンパス問題を日本の問題にはしたくないが、オリンパスやその経営陣の資質、あるいは助言をした人々の資質による問題だけでもない。

そこが解決しない限り、この問題は、形を変えて、日本に何度でも現れることだろう。そして、それはエンロンで見られたように米国を始め、世界共通の問題かもしれないのだ。


まず、本業と関係なく財テクをして、失敗したことは、経営としては、×だが、法的には問題はない。

株主から訴えられる可能性や株主総会で取締役として選ばれない可能性はあるが、それはあくまでビジネス上の判断であり、刑法上の問題ではない。

それにもかかわらず、損失を隠し、先送りをした理由は何か。

それは、財務上の失敗は重要でないし、自分の責任でない、という認識から来ている。

つまり、財務はどうでもいい、という認識に根本の問題があるのだ。

財務はどうでもいいから、本業の邪魔をしないように、失敗したときは本業の決算が汚れないように、隠す。しかし、隠しても誰も裏切ったことにならない。なぜなら、本業は関係ないから、むしろ、特損などで、誤解を生むよりは、そういうノイズがない決算の方が正しい。

そして、隠した責任はない。なぜなら、それは会社のためにやっており、会社が、財テクの損失なんかでおかしくなっては、顧客も銀行も、みんな困るだけだから、隠すのが正しい。

少し大げさに言えば、そういう発想ではないか。

その背景にあるのは、株主蔑視、株式市場蔑視の思想があるのではないか。株式市場はくだらないことで右往左往する。だから、そんなノイズに影響されない方がいいのだ。

これは日本では目立つが、それはしつけができてないからに過ぎず、米国でもエンロンがあり、リーマンがあり、今回の欧州銀行の問題もある。要は、プレゼンのレベルの高さの問題で、本質的には付加価値を出すことではなく、よく見せることを目的としている。

日本の問題は、その本質的な金融市場の欠陥を、偽善的に隠す必要性を軽く認識していて、中途半端に隠すことにある。

オリンパスは、もっともそれについて稚拙な企業だったということにすぎず、この問題の本質は、世界共通で、株式市場というセカンダリーの市場で企業を評価し、第三者が売買してもうけようとしている、と言う構造の問題であり、金融市場における本源的な問題なのだ。