「災害は忘れた頃にやってくる」-10年後の日本が今のギリシャに?

北村 隆司

ギリシャと言うと、ミュージカル「マンマ・ミーア」の舞台となった、青い海と白い家、さんさんと注ぐ太陽の下に毎日、飲んで歌って人生を謳歌する姿が連想される国で、仕事のストレスに耐え切れず自殺の道を選ぶ人が多い日本とは対極にある印象を受ける。処が「人は見かけによらぬもの」とは良く言ったもので、国の場合でもギリシャと日本の政治社会構造は意外と似ている事に驚く。

日本とギリシャの似ている処を挙げると枚挙に暇がない。

民主主義発生の国とは言いながら、戦後ギリシャの政治はエリート家族による政権の盥回しと政局論争に終始して来た。その為、国家の存亡を問われる非常時でも、国益を忘れて派閥争いに夢中になるあたりは、日本と変らない。


国家が破綻の瀬戸際にある時、パパンドレウ首相が「国民投票」を野党との連立を得るための「政治的道具」に持ち出し、世界の市場を急落させても、自身の政治生命を優先させるあたり、さすが、駆け引きでは定評のあるギリシャ商人を生んだ国の首相だけはある。

ドイツはギリシャの年金生活者が優遇され過ぎていると非難し、スロバキアは自分より生活水準が高いギリシャを救う義務があるのかとギリシャ救済に反旗を翻した。それでも、借金を返すため年金制度を改めろと言われると、強く抵抗する処も日本に似ている。ドイツなどが推す改革に、ギリシャなどの南欧諸国が素直に従えない一つの理由に、制度、慣習の違いがあり、それを変えるには時間がかかる事も日本と共通している。

ギリシャの税制には不備が目立ち、脱税の悪習が改善出来ない事や関連法規が無数にあり、手続きが複雑な上、頻繁に改定され、合法的に脱税できる抜け道が多い構造的な問題を抱えている事も日本と共通だ。自営業者を中心とした「脱税満喫層」の反対で、税番号の設置すら出来ない日本も、いい加減に税の透明性に踏み切る必要がある。

観光産業で持っている国にもかかわらず、3人に1人が公務員で、公的年金制度はOECD30ヶ国の中で、断トツの優雅ぶり。定年退職後の年金は、それまでの給与の96%を受け取れる。 同国では歴代政権が労組票を獲得するため公務員の数を増やした結果、現在は5人に1人が公務員といわれる。程度の差こそあれ、公務員の破格の厚遇は日本も負けてはいない。

日本の場合も、公務員と農業の保護で当選して来た代議士が多いため、公務員制度と農業の改革は困難を極めて来た。そのギリシャでもタブーとされてきた公務員の解雇に踏み切った事は、日本国民としても参考にすべきであろう。

財政悪化は寡頭支配の産物でもあり、派閥政治が権力強化のため官との癒着を深め、役人の給与の大盤振る舞いに応じてきた。ギリシャへの金融支援の条件として、公務員給与が凍結されたが、それでも民間の 3倍の給与とされる公務員の人件費は、財政の圧迫材料だ。市場の変化に比べ、習慣変更のテンポは格段に遅い事を考えると、市場の速さを緩められるのか、慣習を変えるかどちらかをしない事には、危機は慢性化してしまう。日本に残された時間は以外に短い気がする。

ギリシャや日本と異なり、プライマリーバランスは黒字なのに公的債務残高が膨張し、政治混迷に堕ち入ったイタリア国債は、投機筋に翻弄されアッという間に7%の危機的水準を突破してしまった。1400兆円を超す個人金融資産という堅固な防波堤に守られた日本の債務残高は1000兆円を超し先進国最悪の債務国に陥った。それにも関わらず、西欧に比べ桁違いに低い消費税を続けてきた日本。その日本も、債務残高が保有資産と拮抗したり逆転した場合に備えた、投機マネーの津波を防ぐ手立ては全く出来ていない。東日本大震災の天災以上の被害が、日本全土を襲う事も多いに有りうる状態である。

災難は忘れた頃にやってくると言う。寺田寅彦は「天災と国防」の中で、「人間の忘れっぽさ」が度重なる災害を呼んだと指摘している。加古の失敗に懲りた日本は、財政法で赤字国債の発行を原則として禁止しているが、1965年度に1年限りの条件で特例公債法が制定されて以来、赤字国債が連発され現在に至っている。大王製紙やオリンパスの不祥事の背景を考えると怖くなる。

今、我々がしなければならない事は日本の信用を維持出来る施策と信用を失った場合の備えであるが「悪い年回りは必ず回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分用意しておかなければならない」と言う寺田寅彦の言葉は真に迫る迫力を持つ。

今の日本には、公務員改革、地方分権を含む行財政改革と消費税の増税のどちらを先にするかなどと言っている暇はない。民主主義は良かれ悪しかれ、説得と納得を原則とする社会である。指導者は言葉を尽くし、主張し、論破し、説得して国民に進むべき道を示すと同時に、国民は対案のない既得権を守るためだけの反対意見を断固拒否する英知を持たなければならない。さもなければ、落ち目に祟り目の現実を考えると、世界的に孤独な日本は、今のギリシャ以上の悲劇を迎える可能性は否定出来ない。

2011年11月23日 北村隆司