正義のアイデア
著者:アマルティア セン
販売元:明石書店
(2011-12-01)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★★
正義論の巨匠、センの研究の集大成。格差の拡大する世界で「正しい分配」を考える人には必読書である。原著の書評をそのまま転載しておこう。
正義とか公正という概念は、経済学だけではなく哲学や政治学にとってもつまずきの石である。「格差社会」を指弾する人々は、所得分配は平等であればあるほどいいと思っているのだろうが、働いても働かなくても所得が同じになったら、誰も働かなくなるだろう。他方、所得分配を市場だけで決めて課税も福祉給付もしないと、貧富の差は非常に大きくなる。この両極端が望ましくないことは自明だが、その間のどこに「最適」の分配があるのか、という問題には理論的な答がない。
どういう分配が望ましいかを決めるには、人々の意思を集計する必要があるが、そういう集計は不可能だというのがアロウの一般不可能性定理である。著者は若いころ、アロウの定理を拡張して社会的選択理論の数学的な研究を行ない、のちには祖国インドの飢餓をテーマとして途上国の貧困の問題に取り組み、社会的公正の問題を論じた著作を多く発表している。本書はその集大成ともいうべきものだ。
正義についての理論として有名なのはロールズの「格差原理」だが、この理論はノージックなどによって批判され、のちにロールズも事実上撤回してしまった。他方、ノージックのようなリバタリアンは「公正な分配は存在しない」という理由で所得再分配を否定するが、これも現実の問題を考える助けにはならない。
著者はカントからロールズに至る啓蒙的な倫理思想を超越的制度主義と呼んで批判し、それに対して現実的比較という原則を提唱する。たとえば3人の子供のうち1人にフルートを与える問題を考えよう。アンは「私だけがフルートを吹けるので、私が持つのが公正だ」と主張し、ボブは「ぼくがいちばん貧しいので、ぼくが持つべきだ」と主張し、カーラは「そのフルートを作ったのは私だから私のものだ」と主張する。彼らのうち誰が正しいだろうか?
このように何が正義であるかはそれを決める基準に依存し、その基準は多元的なので、正しい分配を決める究極的な基準は存在しない。かといって何も決めないことは不公正をまねくので、実現可能な選択肢の中で比較するしかない。著者はロールズのような明快な原理を提示するわけではなく、複数の基準の中から多くの人々が合意を形成する手続きを検討し、中立性や透明性などの基準をあげる。
この意味で、正義の概念は民主主義のあり方と不可分である。この結論は平凡といえば平凡だが、全世界に通じる「正義」の名において他国を侵略することほど正義から遠い行為はないのである。