自爆スイッチを押さないための処方箋:自己を客観視するということ。

松岡 祐紀

外国人と話していて時々、話題になるのは日本の自殺率の高さだ。2010年の自殺者数は3万1560人とのことだ。このことを彼らに伝えると、一様に「なぜ?」と訊かれる。

日本人同士の会話だとそこまで素朴な疑問を訊かれることはなく、どこかお互いすでに既知なことして済まされるが、外国人は客観的なデータを示さないと納得しない。

労働時間が長いからと言っても、「ほかにも労働時間が長い国もあるけど、そんなに自殺者は多くない」と反論を食らう。

自殺率の国際比較

上記データを見ると、韓国に抜かれはしたが、未だに自殺率は世界8位となっている。(韓国、日本を除くと上位はアフリカ諸国や旧ソ連地域が占めている)

上記ホームページからの引用だが、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士が言っていることが的を得ているのかもしれない。

「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。」


日本人の遺伝子には「自爆スイッチ」のようなものが最初から埋め込まれて、ある一定の外的要因が揃うと、それにスイッチが入るかのようだ。ただ、この問題をこのように捉えてしまうと解決の糸口が見えなくなってしまう。

日本社会に長い間暮らしてきた人間として強く思うのは、「自己を客観視しない価値観」が問題だと思う。失業したり、なにかひどい目にあったら、それが直接「自分自身の価値の喪失」と捉える文化がこの国にはある。仕事や学校、そのようなものに自己を同化させて、そこでの評価が絶対となっている。

自殺率が比較的低い国(アルゼンチン、英国、スペインなど)の人たちと話していて思うのは、彼らにはそのような価値観が全く理解出来ないだろうなということだ。彼らの世界は自分中心で作られており、どんなことがあってもそのせいで「自分自身の価値自体が喪失」したとまでは考えない。平たく言えば、だいたい他人か社会のせいにして、「おれ、悪くないから」で済ます。

またそれに付随することとして、日本人と議論して相手の意見に異を唱えると、とかく彼らは感情的になる。あたかも自分の存在が否定されたかのように感じるらしい。外国人との議論では前提となるのは「各自が違う意見を持っていることが当たり前」ということだ。だから、反対意見を言ったところでそこまで感情的にこじれることはない。

今後、経済は低迷し多くの人が失業するかもしれない。そのときまでに国がなんらかのセーフティーネットを用意することはあまり期待出来ない。だったらせめて自分の中の価値観を少しでも変えたほうがいい。

今日直面している問題は一年後跡形もなく消えているか忘れ去られているだろう。そのように考えて、少しでも自分の問題と「自分自身の存在」を切り離すことから始めればいい。高いインフレ率と貧困に悩まされ、挙句の果てに一度は財政破綻したのに、どこか人生楽しげなアルゼンチンの人々を見ていると、「人生どうとでもなるな」と心底思う。

ブエノスアイレス在住
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