自炊代行提訴についての雑感 --- 玉井克哉

アゴラ編集部

今回、「自炊代行」を業とする二社に対して、著名な作家・漫画家7氏が差止めを求める訴えを提起したと報道されています。これについては、「作家は自分たちの権利のことばかりを考えて、読者(お客さん)のことを考えていない」
という批判がなされています。ツイッターでの私のタイムライン上では、これに賛同する賛同する意見が大勢です。

しかし、私はまったくそれには共感しません。


まず、われわれが個人として行う「自炊」(のかなりの部分)は著作権侵害とならないが、その「代行」(のほとんど)は侵害となるということです。この点は著作権法30条に関する法解釈学上の議論が要りますが、少なくとも、「自炊代行」が著作権侵害となることがある、現在の「自炊代行」業のかなりの部分が著作権侵害となるということについては、専門家の見解はほぼ一致すると思います(福井健策弁護士の意見を参照)。

とはいえ、「アゴラ」の読者の大半は、著作権法の解釈になど関心がないでしょう。「自分で『自炊』するのとそれを『代行』させるのとの間に、大きな違いなどあるまい。扱いがまったく違うのなら、それは現行法がおかしいのではないか」というのが、このコラムをお読みになる方の疑問だと思います。それに対しては、「自炊」と「自炊代行」とでは、社会的・経済的な影響がまったく違うということを述べねばなりません。

いわゆる「自炊」というのは、ここでは、1.自分で買ってきた本を自分で裁断する、2.スキャナーで読み込んでPDFにする、3.そのデータを自分のPCに取り込む、4.必要に応じて印刷して読む、5.タブレットなどで持ち出すといった行為を指すことにします。それに留まるのであれば、自分で買った本の形を変えるだけで、作家・漫画家・出版社のビジネスに影響を与えることはありません(大活字版と文庫版と二種類出している場合、もしかすると大活字版の売れ行きが落ちるという影響があるかもしれませんが、ここでは視野の外に置くことにします)。

他方、自炊「代行」というのはいろいろあるようですが、1と2の部分を個人に代わって行うというのが、最大公約数ということになるでしょう。そして、1と2のみについて、ただ単に「自炊」を代行しているだけであれば、「自炊」そのものと同様、経済的な影響はないと言えるでしょう。

しかし、「自炊代行」業者の行為がそれに留まるとは限りません。PDFにしたデータは、「代行」を依頼した者(以下「依頼者」と呼びます)に送ることになります。これはデジタル・データですから、複製が極めて容易です。浅田次郎さんとか弘兼憲史さんとか、人気のある作家・漫画家の場合、多くの人が「代行」を依頼するでしょう。そうした場合、業者は、いったんデータを依頼者に送った場合はいちいちデータを廃棄するのでしょうか。依頼者ごとに本を裁断し、スキャンし直してデータを取り直し、別々のデータをそれぞれの依頼者に送るのでしょうか。私には、とてもそんなことは想像できません。そんな非効率なことをしているようでは、「自炊代行」業者相互間の競争に負け、市場からの退出を余儀なくされることになるでしょう。いちどPDFにしてデータを取れば、二番目以降の依頼者には同じデータを送るのが一般的でしょう。では、二番目以降の依頼者が裁断用に送った本は、いちいち裁断するのでしょうか。データを取らないのに裁断するなどということは、まったく無駄なことです。そんな馬鹿げた、無駄なことはしない、というのが、無理のない想定でしょう。

もしそうした想定が正しいとすれば、「自炊代行」業者というのは、実は限りなくデジタル・データ販売業に近いことになります。そして、多数の依頼者から注文を受ける業者であればあるほど、その倉庫には、裁断用に送付された書籍が大量に積み上がることになります。その書籍は、どうなるのでしょうか。本来裁断用ですから、廃棄するのが妥当です。産業廃棄物として、業者に引き取らせることになるでしょう。では、廃棄物処理業者はどうするでしょう。新品の本です。ベストセラー作家の最新著作です。それを捨てますか。捨てるとすれば、明らかに社会経済的な無駄です。それに、もともと誰かが適法に買った本です。それは奥付や体裁を見れば明らかです。私が廃棄物処理業者なら、捨てたりはしませんね。古本屋に持っていって、売ることになるでしょう。もしそうなったら、誰かが1冊の本を「自炊代行」に出すと、市場にはもう1冊のコピーが出回ることになります。この時点で既に、もはや作者に影響がないとはいえないでしょう。

今回の提訴に名を連ねた作家の中には、「私は電子書籍が普及しても、こうした違法スキャン業者はなくならないと個人的に思っている」とおっしゃった方もいるようです。理想的な電子書籍システムが普及すれば、「自炊代行」といういかにも無駄な事業は、たぶん衰退するでしょう。ですので、この発言そのものを嗤うことはたやすい。しかし、そうおっしゃる作家は、おそらくその先を見ておられるのだと思います。電子書籍がいくら普及しても、デジタルにはなじめない、紙の本でしか読めないという人は必ずいます。そのような人が情報にアクセスできるようにするのは、社会の義務です。簡単に紙の本を止めてよいはずはありません。ということは、原理的にDRMをかけようのない複製物が、あと何世代かは社会に残るということです。紙の本には、複製防止措置(DRM)をかけようがありません。いくら電子書籍が普及しても、その書籍は有料です。しかし、いったんデジタル・データにしてしまえば、複製にコストはかかりません。紙の本から作家がコントロールできない(DRMのかからない)デジタル・データを作成し、それを販売する業者が跋扈する限り、電子書籍事業を展開することがそもそも困難になります。そのような業者が社会に定着するまえに、芽を双葉のうちに摘んでおかねばならないのです。そして、「自炊代行」業というのは、先に書いたとおり、要はデジタル・データの販売業です。いまのうちに手を打っておかないと、電子化・デジタル化を自分たちの手で進めることができなくなる。そういう趣旨だとすると、上に挙げた作家の方の発言は、先を見据えたものだと思えてきます。先のことまで考えれば、われわれが自宅で細々と行う「自炊」とその「代行」の間の違いは、極めて大きなものだといえるでしょう。

といっても納得できない方は、先に挙げた福井弁護士の、次の意見をご覧ください。

〈スキャン代行が適法になってしまうと、早晩こんなサービスが生まれそうです。「うちではスキャン代行と裁断本の販売を行っています。Webページでお好きな裁断本を選んでクリックしてください。そのボタンはスキャン代行の依頼ボタンでもあります。これはあなたに所有権が移った裁断本で、私たちはそのスキャン代行を行っているだけなので適法です。終わったらデータをお送りします。スキャンが終わった『あなたの』裁断本がご不要であれば、私どもが買い取ります。裁断本の販売価格は500円、買い取り価格は200円となりますので、差し引きで300円だけ課金します…」〉

ひとたびそういう事業者が出現すれば、まともな「電子書籍」ビジネスなど、立ち上げようがありますまい。

もちろん、今回の訴えによって、そのもくろみ通りの効果が発揮されるのかどうか、それは不明です。「どうせ無駄」、「メディアシフトへの消費者の要求に抵抗したって無駄なんだからやめておけばいいのに」という意見は、私のタイムラインにも出てきます。そうかもしれない。と私も思う。しかし、たとえ無駄だとしても、権利主張がいけないということにはならない。現行法上、「自炊代行」は違法です。少なくとも、そのほとんどは著作権侵害である。そしてそうなっているのは、適法な「自炊」との間に無理やりに不合理なラインを法律が引いたのではなく、社会経済的な意味を考えれば、十分に根拠のある区別です(著作権法30条にはいろいろと問題はありますが、少なくともその点には意味があると、私は思い ます)。

ですので、「作家は自分たちの権利のことばかりを考えて、読者(お客さん)のことを考えていない」という主張に、私はまったく共感しません。彼らの権利主張は正当です。私は、断乎支持します。彼らの勇気ある行動に、私は拍手を送りたい。

玉井克哉・東京大学先端科学技術研究センター・教授(知的財産法)

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