石原知事に期待するものは何もない。

松本 徹三

大阪市長選で圧倒的な強さを見せ付けた橋下徹氏との提携に興味を持つ中央政界の人士が多い事から、彼が今年の政局の一つの目玉になる可能性は強い。もし実際にそうなれば、膠着状態にある日本の政治に風穴を開ける事になるかも知れず、とてもよい事だ。

彼の言っている事は過激なようにも聞えるが、よく聞いてみると至極当たり前の事ばかりだ。多くの政治家が既得権に守られている人達の支援の下にいて、或いは敵を作らない為に耳に快い事しか言わない中で、こういう彼に期待が集まるのは当然だし、私自身もその一人だ。彼を「ファッショ」と呼んで警戒心を煽る人達は、私にはとても滑稽に見える。「誰かが物事を自分の責任で決め、どんな反対があっても実行する気概を持たなければ、何事も成しえない」という彼の「当たり前の考え」が、何故「ファッショ」になるのだろうか?


さて、この様な流れの中で、石原慎太郎東京都知事はどのような立場をとるのだろうか? かつて毛沢東は「農村が都市を包囲する」戦略をとって中国での革命を成功させたが、現在の日本では「都市部の浮動票が農村を含めた日本全体の改革を促進するパワーになるだろう」と期待されている。そして、その魁となるのは、先ずは、東京、横浜、大阪、名古屋などの大都市の行政府かもしれない。

石原氏の言動も、橋下氏同様「ファッショ」と評される事があるので、「石原-橋下の連携」に密かに期待する向きも一部にはあるようだが、私自身は全くこれには期待していない。もともと引退を決めていた石原氏を無理やりに引っ張り出したのは、「間違っても東国原などが東京都知事になって、橋下などと連携して国政に影響力を行使してくるのは防ぎたい」と考えた自民党の強い危機感によるものであるのは間違いないし、彼の思想信条から考えても、橋下氏とは部分的に共同歩調を取る事はあり得ても、全面的に連携するとはとても思えないからだ。

現在の日本には、「かつての『大日本帝国』を全面的に否定されるのは我慢ならない」と考える人達は結構多く、そういう人達は、中国の事をわざわざ「シナ」と呼ぶような石原氏の言動に喝采を送る。私はこういう姿勢には全く賛成出来ないし、この様な政治家は間違っても国政のトップに担ぎ出してはならないと思っているが、そういう思想信条を持った政治家が一部の国民の考えを代表して活動する事には、全く異議はない。それこそが「百花放斉」の民主主義というものだと思うからだ。

しかし、たまたま「文藝春秋」の新年特別号に掲載された彼のコメントを読んで、私は、彼が最早「繰言を言う右翼老人」以上の何者でもなく、責任を持って政治の任に当たるだけの意欲と識見は持っていないと判断せざるを得なくなってしまった。

「日本はどこで間違えたか(もう一つの日本は可能だったか)?」という文藝春秋の設問に対し、彼は、驚くべき事に、「日本が犯した戦後最大の過ちは無条件降伏を受け入れた事」という主旨の答えをしている。

彼は、「ドイツは無条件降伏をしておらず、『新憲法はドイツ人自身が作成する』事、『戦後の教育指針はあくまでドイツ人自身が決める』事を降伏に際しての条件にした」という事実に触れた上で、これに対して日本は、無条件降伏の所産として、「自らの国家を自らが守る権利を実質的に否定した第九条に限らず、他愛のない理念を謳った日本語の体を成していない醜悪な前文も含めて、あのキテレツな憲法(原文のまま)」を受け入れ、「日本の近代史を全て否定し自己嫌悪を造成する教育の徹底(原文のまま)」を行ったとしている。また、彼は、「かくしてこの国は未だにかつての勝者だったアメリカの囲い者として様々に収奪されつくし、国家としての実質的な主権を失い民族の個性までを毀損されてきた(原文のまま)」とも言っている。

こういった彼の議論は、俗に「ネウヨ」と呼ばれる人達の議論と大同小異で、「事実の誤認」「論理の飛躍」「独断と偏見」のオンパレードであり、その言い分は、「ないものねだりの駄々っ子」の言い分のようでさえある。

第一の問題は、憲法制定に至るまでの経緯を彼が全く無視している(或いは意図的に触れないでいる)事だ。彼がその経緯をまさか知らなかったとはとても思えないが、当初、マッカーサー総司令部は、「憲法改正については過度の干渉はしない」方針だった。その為に、1946年の初頭頃までは、彼等は日本政府(具体的には松本蒸治国務大臣が委員長を勤める「憲法研究会」)による改正案の作成を待つ姿勢をとり続けていたのであり、この事は先ず正確に認識されていなければならない。

然るに、2月8日になって日本政府が提出することになる「憲法改正要綱(松本試案)」の前身となる試案の一つ(宮澤甲案)を毎日新聞が事前にスクープした事から、これを読んだ総司令部は、その内容が「あまりに保守的(本質的に旧体制の持続)」である事に衝撃を受け、「このまま日本政府に全てを任せていたら、2月26日から総司令部に代わって連合国側の最終決定機関となる事が決まっていた『極東委員会』、特にそのメンバーであるソ連やオーストラリアの反発を買うのは必須であり、彼等が『天皇の退位』を強く主張する事を防げなくなる」と危惧して、先手を取って「象徴としての天皇制の存続」を謳った「総司令部案」をぶつける必要性を感じ、ホイットニーの指揮する民政局員を総動員して草案を作らせたのだ。

石原氏は「占領支配者が短期間で作成した奇体な憲法」とか、「日本語の体を成していない醜悪な前文」とか、言いたい放題だが、そもそも当時の日本政府が連合国側の考えをよく理解していたら、始めから拒否されると分かっているような「松本試案」は作らなかっただろうし、総司令部の民生局員に「2月26日というXデーを意識した昼夜を問わぬ過酷なスケジュール」での草案作りを強いる事にもならなかった筈だ。それとも石原氏は、あくまで「松本試案」に固執して総司令部案を拒否し、結果としてソ連やオーストラリアが主張しただろう「天皇退位」を受け入れるリスクを取った方がマシだったというのだろうか?

また、石原氏が目の敵にしている「前文」については、ホイットニー配下の若い民政局員のあまりに理想主義的な(従って若干子供っぽい)考え方が前面に出過ぎているという批判はあり得ても、これを「醜悪」と呼ぶのは石原氏の「偏見」の所産以外の何者でもなく、若き日の石原氏の小説「太陽の季節」の中の幾つかの表現を「醜悪」と呼ぶ以上に妥当性を欠くと言ってよいだろう。

この前文の内容は、今なお深く噛み締めて然るべき「一つの考え方」をベースとしており、今後第九条を中心とする憲法改正があり、日本の幅広い自衛権が憲法上に明確に記述される事になったとしても、なお温存すべき思われる幾つかの文章を含んでいると、少なくとも私は考えている。また、「日本語の表現」についても、英語で記述された原文の直訳をベースとしている故、勿論「名文」と呼ぶわけには行かないが、作家の山本有三氏や法務局の高級官僚が吟味した上で書き上げたものであり、クソミソに言われる程のものとは思わない。

しかし、こんな事は全て、「無条件降伏を受け入れるべきではなかった」とする同氏の冒頭の「非現実的な議論」に比べれば、些細な事かもしれない。石原氏は、もし日本があの時点で無条件降伏を受け入れていなかったなら、どんな事が起こっていただろうかを、少しでも考えた事があるのだろうか? あまりに無責任な発言であり、「暴論」であると言わざるを得ない。

当時の日本政府が最後まで主張したかったのは「国体の護持」即ち天皇制の継続であったわけで、この事をさておいて、「憲法」や「教育問題」についてのみ条件をつけるような事は、空想の世界でさえもあり得なかった事だし、何れにせよ、あの時点で色々条件をつけても、連合国側は聞き入れる耳を持っているわけはなかった。そして、もしそこでその交渉の為に更に数日を空費していれば、更に何発かの原爆が投下され、更に数百万人の日本人が殺されていただろう。石原氏はそれでもよかったと言うのだろうか?

(日本側が何等かの条件をつけた降伏を申し入れるチャンスが全くなかったわけではない。もっと早い時点で海洋防衛線をマリアナ諸島の線まで下げ、日本本土とこの線を結ぶ地域での最低限の制海権と制空権を維持した上で、「同盟国だったドイツの降伏」を口実にして、進んで降伏を申し入れていたら、或る程度の条件はつけられたかもしれない。しかし、その当時は、誰もそんな事は言い出せなかっただろうし、もしそのような建議が表に出たら、これを言い出した者は、例えそれが既に国民的英雄になっていた海軍の山本五十六元帥のような人であったとしても、陸軍の過激派か右翼の壮士にたちまちのうちに誅せられていただろう。いや、その前に、外交音痴の日本政府は事もあろうにソ連に仲介を頼んで足許を見られ、ソ連の極東に対する野心に却って火をつけてしまっていたかもしれない。要するに、この様な「歴史のIf」は、殆ど現実性を持っていないと言ってよいだろう。)

石原氏は、また、同じ敗戦国のドイツと日本が異なった扱われ方をした事を、「白人の有色人種に対する差別意識」故だとしているが、この様な見方は何とも浅薄な想像の産物であるのみならず、日本人の欧米諸国に対する反感を無用に煽る有害な議論だ。ドイツの場合は、ナチス政権は終戦の直前に完全に崩壊し、ヒットラーやゲッペルスは自殺、ナチス政権に反対する勢力がドイツを代表して連合国側と交渉したのに対し、日本の場合は、元首としての天皇が健在のまま、内閣総理大臣が代わっただけで交渉に臨まなければならなかったのだ。

それとも石原氏は、「天皇制を維持しようとした事自体が誤りだった」という立場をとり、「松本試案」に対するアンチテーゼとして提案された、高野岩三郎氏(「憲法研究会」の主力メンバーの一人)の「日本共和国憲法私案要綱」や、日本共産党の「日本人民共和国憲法(草案)」を前面に押し出して、ドイツに対するのと同等の扱いを受ける事を主張すべきだったと言うのだろうか?(それならそれで、一応の筋は通っているが…。)

因みに、「ナチス政権が行った事を全面的に否定して謝罪を済ませているドイツと異なり、日本は過去の歴史の評価についてなおも曖昧な態度をとっている」として、事ある毎に日本に更なる謝罪を求めてくる中韓両国に対して苛立つ日本人は多いが、よく考えて見ると、ドイツと日本の「終戦」が異なった経緯を辿ったのは上記の如く厳然たる事実なのだから、中韓側の懸念も或る程度は理解せねばなるまい。(勿論、石原氏の様な人達には、そのような理解をする積りは全くないだろうが…。)

上記の全ては、政治家である前に作家でもあり、多くの人達に影響力を持つ言論人でもある石原氏の「歴史観の甘さ」と「議論の粗雑さ」を糾弾するものであるが、このコメントに現れた政治家としての同氏の姿勢は、更にお粗末だと言わざるを得ない。

講和条約発効後の日本はれっきとした主権国家であり、一定の条件を満たせば如何なる形の「憲法改正」も何時でも出来るし、「教育政策」に至っては明日にでも全てを抜本的に変える事が出来る。それが未だに出来ていないのは、石原氏を含む歴代の政治家が非力だったか、或いは、「如何にすれば多くの国民のコンセンサスが得られるか」についての思慮に欠けていたからだと言わざるを得ない。

石原氏は、「アメリカの囲い者として様々に収奪されつくし、国家としての実質的な主権を失い、民族の個性まで毀損されてきた」として「この国」、即ち「現在の日本」自体を糾弾しているが、憲法改正議論を何度も封じ込め、現在の教育制度を容認して、現在の日本を作ってきたのは、良くも悪くも石原氏を含む我々日本人自身であって、理由もなく悪者にされたアメリカは甚だ迷惑だろう。

東京都知事として日本の政治の一翼を担う石原氏は、この様な不毛のコメントを文藝春秋に出す暇があるのなら、万人が納得するような「事実」と「論理」、それに多くの人達の共感が得られるような「行き届いた配慮」に基づく議論を堂々と展開し、早い時点での「憲法改正」に少しは貢献するような「実のある仕事」をして欲しい。現在のような言動では、むしろ「憲法改正」に反対する勢力に「反対の論拠」を与えるだけに終わってしまうだろう。