きょうからGEPRのウェブサイトをオープンしました。毎週月曜に日本語と英語で更新します。私の論文を転載します。
2011年3月11日に起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故は、2万人近い死者・行方不明を出した東日本大震災と同時に起こったため、非常に大きな事故という印象を与えているが、放射能による死者は1人も出ていない。原発の地下室で津波によって作業員2人が死亡したが、致死量の放射線を浴びた人はいない。それなのに原発事故がこれほど大きな問題になり、東電の経営が破綻するとみられているのはなぜだろうか。
これには政府の初動の対応のまずさ、健康被害についての情報の不足など、さまざまな原因が複合しているが、根本的な問題は放射線の被曝限度が50年以上前から基本的に変化していないためと考えられる。冷戦時代には放射能のリスクは主として核兵器によるものだったため、戦争への恐怖が核エネルギーへの恐怖を高め、その評価を政治的にゆがめてきた。冷戦後も、核兵器反対運動が原発反対運動に横滑りしたため、原発はつねに政治的な論争のテーマになってきた。
このためエネルギー問題の専門家でも福島事故を「地球規模の大災害」と考え、「原発が多少安くても巨大なリスクに見合わない」と考える傾向があるが、瞬時に数十万人が死亡する原子爆弾とは異なり、原発事故の被害は計算上の数字である。その計算はIAEA(国際原子力機関)によって定められた放射線被曝限度にもとづいているが、この規制は近年の放射線医学の発達で見直しを迫られている。原発事故の損害は兆円単位なので、線量基準の見直しは大きな社会的インパクトをもたらす。
本稿では今回の事故のリスクを既存の資料で概観して、原子力の安全基準をめぐる科学的事実と一般のイメージの大きなギャップの原因を明らかにし、それを正確に評価するとエネルギー政策にどのような変化があるかを考える。私は原子力工学についても放射線医学についても専門家ではないが、この問題については専門が細分化されて全体を見る議論ができないきらいがあるため、本稿では既存のデータをもとにしてごく大ざっぱに原子力のリスクと経済性についての評価を再検討し、今後の研究の素材を提供したい。
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