アゴラ研究所は2012年1月2日に研究機関グローバル・エネルギー・ポリシー・リサーチ(GEPR)を創設しました。そこでエネルギー問題をめぐるさまざまな知見を提供しています。
UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)が2008年に発表した「チェルノブイリ事故についての放射線の影響評価」(英語版)の要約の日本語翻訳(GEPR編集部)を提供します。
同調査によれば以下の事実が示されています。
1・子供などを中心に2008年までに6000名の甲状腺がんの発生が確認された。この原因は、放射能で汚染された食品、とくにミルク、乳製品が流通・販売されたことによる。
2・事故による直接の死者は事故後3カ月で、600人の作業員の中で28人。また作業員による放射線障害の問題がある。事故による地域全体での他の疾患の増加は確認されていない。
3・圧倒的多数の住民はチェルノブイリ事故からの放射線がもたらす深刻な健康状態を恐れながら生活する必要はない。長期にわたる低線量被曝の健康への影響の可能性は放射線医学の観点からみると少ない。
日本ではチェルノブイリ事故についての不正確な情報が流れています。この調査を参考にしてください。
2008年 UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)
■概要
1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所原子炉の事故は、原子力発電産業においてこれまで起きた中でもっとも深刻な事故であった。原子炉は事故により破壊され、大気中に相当量の放射性物質が放出された。事故によって数週間のうちに、30名の作業員が死亡し、100人以上が放射線傷害による被害を受けた。事故を受けて当時のソ連政府は、1986年に原子炉近辺地域に住むおよそ11万5000人を、1986年以降にはベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナの国民およそ22万人を避難させ、その後に移住させた。この事故は、人々の生活に深刻な社会的心理的混乱を与え、当該地域全体に非常に大きな経済的損失を与えた事故であった。上にあげた3カ国の広い範囲が放射性物質により汚染され、チェルノブイリから放出された放射性核種は北半球全ての国で観測された。
ベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナの住民の間では、2005年までに、事故当時被曝した、6000を超える小児および思春期の子供たちの甲状腺がんの症例が報告された。今後10年の間に、さらに症例数が増えることが予想される。検査体制が強化されていたにも関わらず、そういったがんの大部分は、おそらく事故直後の放射線被曝が原因であった可能性が最も高いだろう。この増加傾向とは別に、事故から20年を経ても放射線被曝を起因とする公衆衛生上の大きな影響があったという証拠はない。全般的ながんの発生率あるいは死亡率、または放射線被曝と関連があるかもしれない非悪性疾患の増加に対する科学的証拠は存在しないのだ。一般住民の白血病発生率は、固形がんと比べて被曝から症状が表れるまでの時間が短いと予想されるために大きな懸念材料のひとつとなっているが、上昇している傾向は見受けられない。最も高い線量に被曝した人はそれぞれ放射線にまつわるリスクが増大する可能性が高いが、大半の住民はチェルノブイリ事故による放射線による深刻な健康上の影響を受けることはなさそうである。放射線被曝とは関係のない、他の健康上の問題が人々の間には多数あるということが知られている。
■放射性核種の放出
チェルノブイリ核原子炉の事故は、電気制御システムの実験が行われている際に、原子炉が定期点検のため停止されつつある状態の時に起きた。作業員が安全規定を守らず、重要な制御システムの電源を切り、もともと設計に欠陥があった原子炉が不安定かつ低電力な状態に陥ってしまった。電圧が急上昇したため原子炉容器が破裂するような水蒸気爆発が起こり、さらに激しく燃料と蒸気が反応し、原始炉心が破損、原子炉建屋は激しい損傷を受けた。その後に黒鉛が10日間激しく燃え続けた。このような状況下で大量の放射性物質は放出されたのである。
事故により放出された放射線を含むガスや粉塵は、はじめ西および北の方角に風によって運ばれた。その後の日々、風はあらゆる方向から吹いた。放射性核種の降下は、主に放射能雲通過の際によるものであり、それは事故の影響のあった地域全体、そして、程度は低いものの、残りのヨーロッパ全土にも複雑かつ多岐にわたる被曝のパターンをもたらした。
■人の被曝
人々が被曝する原因となった原子炉から放出された放射性核種は、主にヨウ素131、セシウム134、セシウム137であった。ヨウ素131は放射能半減期が短いが(8日間)、空気や汚染されたミルク、葉野菜を摂取することで、比較的急速に人体に取り込まれる。ヨウ素は甲状腺に局所的に蓄積されてしまう。乳幼児の甲状腺の大きさや代謝作用の他に、乳幼児が母乳、牛乳および乳製品を摂取することも関連があるが、通常、乳幼児の放射線の被曝線量は大人のそれよりも高い。
セシウムの同位元素は放射能半減期が比較的長い(セシウム134は2年間、セシウム137は30年間)。これらの放射性核種はその摂取経路、および地表の堆積物からの外部被曝によって、より長い期間被曝する原因となる。数多くの他の放射性核種がこの事故によって関係している。これも公開されたさまざまな評価の中で、影響が検討されている。
事故の影響を最も受けた人々の平均実効線量は、復旧活動に携わった53万人の作業員では約120mSv、11万5000人の避難民では約30mSV、そして事故直後から20年間汚染地域に住み続けた人々では約9mSvだと評価された。(ちなみに、CTスキャンを1回受けると通常9mSv被曝する)。個々人の被曝の最大値は、それ以上の可能性もある。ベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナ以外のヨーロッパ諸国も事故の影響を受けた。当該ヨーロッパ各国の平均被曝線量は事故後最初の1年で1mSv未満であったが、その後、年ごとに著しく減少していった。ヨーロッパの中でも距離が離れたところに位置する国々での、この事故における生涯にわたる平均被曝線量はおよそ1mSvであろうと推測される。この被曝線量は、自然由来の放射線量から1年間に受ける被曝線量と同程度であり(地球全体の平均値は2.4mSv)、そのために放射線医学的に、影響があることはほとんどない。
事故による影響を減らそうと奔走した人々や事故現場近くに住んでいた人々の被爆レベルははるかに高かった。これについては、UNSCEAR の評価でかなり詳細に再考察されている。
■健康への影響
チェルノブイリ事故は、そのほぼ直後から深刻な放射線による影響を数多く引き起こした。1986年4月26日早朝に現場にいた600人の作業員のうち、134名は高線量の被曝を受け(0.8-1.6Gy)、放射線障害に苦しんだ。このうち28名が事故後3カ月内に死亡した。 その他19名が1987年から2004年の間に死亡したが、その死因はさまざまで、必ずしも放射線被曝と関連付けられるものではない。さらに、UNSCEAR の2008年リポートによると、53万人と言われている復旧活動に携わった作業員のほとんどは、1986年から1990年の間に、0.02Gyから0.5Gyの被曝を受けた。その作業員のグループは今でも、がんやその他の疾病のような、時間が経ってから出てくる影響の潜在的リスクにさらされており、彼らの健康は詳しく追跡される予定になっている。
チェルノブイリ事故はまた、数百万人の人々が住んでいるベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナの各地域を広範囲にわたり放射線によって汚染することにもなった。放射線の被曝にさらされることとなっただけでなく、放射線被曝を制限するために、再定住化、食料供給の変化、そして個人や家族の活動制限という手段がとられたため、事故は、汚染された地域に住んでいた人々の生活も長期にわたって変えてしまった。のちに、このような変化に加え、旧ソビエト連邦が崩壊した際には、経済的、社会的、そして政治的に大きな変革をも伴うこととなった。
最近の20年間は、チェルノブイリ事故によって放出された放射性核種による被曝と後遺症の関係について、特に小児の甲状腺がんについて調査することに関心が集まった。事故直後から数ヶ月の間に甲状腺が受けた被曝線量は、事故当時ベラルーシ、ウクライナ、そしてロシア連邦内の最も影響を受けた地域にいた、高線量の放射性ヨウ素を含む乳を飲んでいた小児または思春期だった子供たちの間で特に高かった。2005年までに、この集団の間で6000を超える甲状腺がんの症例が診断された。これらの大部分は放射性ヨウ素の摂取に起因した。長期間にわたる増加は正確に数値化するのが難しいが、チェルノブイリ事故による甲状腺がんの発生率の増加は、今後何年にもわたって増加するであろうと予想されている。
高線量の被爆を受けた復旧作業に当たったロシア人作業員の間では、白血病の発生率が多少増加したという新たな証拠が現れてきている。しかし他の研究によると、放射線によって誘発された白血病の年間発生率は、被曝してから数十年のうちに低下するだろうと予想されている。さらに、復旧作業にあたった作業員に関する最近の研究では、比較的低線量の被曝によって目の水晶体の混濁が生じた可能性があると推測されている。
放射線障害から生還した106名の患者は、完全に健康が正常化するまで数年を要した。その患者のうち多数は、事故直後から数年の間に、臨床的に有意な割合で放射線によって誘発された白内障を発症した。1987年から2006年の間に、19名の生存者が様々な原因で死亡した。だが、このうち何名かは放射線被曝とは関係のない原因により死亡した。
若年時に被曝した人々の甲状腺がん発生率の急増と、作業員の白血病および白内障の発生率増加の徴候とは別に、被爆した人々の間で放射線による固形癌や白血病の発生率の明確な増加はみられていない。また電離放射線と関係のある非悪性疾患があるという証拠もない。しかしながら、実際に受けた被曝ではなく、放射線に対する恐怖による事故への心理的反応は広範にわたってみられた。
時間の経過とともにあらゆるがんが発生する率が増加したことを、チェルノブイリ事故に起因するものだとする傾向があるが、事故の影響があった地域では、事故以前にも増加はみられたということに留意すべきである。さらに、死亡率の全般的な増加はここ数十年の間に旧ソビエト連邦のほぼ全域で報告されており、このことは事故関連の研究の結果を解釈する際に考慮されなければならない。
長期間の電離放射線の被曝によってもたらされる、人体へ遅れて起きる反応の評価は、高線量被曝や動物実験による研究の進展に大きく依存しており、現在解明されていることは限られている。チェルノブイリ事故による被曝に関する研究は、長期間にわたる被曝がもたらす遅発効果について明らかにするかもしれないが、被曝した人々の大部分が受けたのは低線量の放射線であることを考えると、疫学的研究において、がんの発生率あるいはがんによる死亡率が増加すると断定することは難しいであろう。
■結論
1986年のチェルノブイリ原子力発電所における事故は、その犠牲者にとって悲劇的な出来事であり、最も大きな影響を受けた人々は、多大な困難に苦しんだ。緊急事態に対応した人々の中には亡くなった人たちもいた。幼少期に被曝した人々や、緊急事態あるいは復旧作業に対応した作業員の人々は、放射線に誘引される影響が増加していくというリスクに直面しているが、圧倒的多数の住民はチェルノブイリ事故からの放射線がもたらす深刻な健康状態を恐れながら生活する必要はない。彼らの大多数は、自然由来の放射線の年間レベルと同じか、その数倍高い放射線量を被曝した。しかし将来的には、放射性物質が減るにつれ、将来受ける被曝線量は緩やかに減少し続ける。チェルノブイリ事故により住民の生活には著しい混乱が起きたが、放射線医学の観点からみると、ほとんどの人々が、将来の健康について概して明るい見通しを持てるだろう。