失われたのは、20年ではなく10年 --- ノア・スミス(Noah Smith)

アゴラ編集部

日本は、10年を失った。けれどもマット・イグレシアス(Matt Yglesias)は、日本は実に20年を失った、と思っている(1990~2007)。ところが、私は彼が唱える議論に賛成しない。私は、2002~2007年は日本にとって活況であったと考えているのだ。


まず第一に、マットは日本の人口に対する雇用人口の比率が、着実に1990年から落ちたという事実を引用している。しかし、日本人口の高齢化が進んでいる、という事実を考慮しなければならない。また、アメリカの場合は65歳だが、日本の労働者の定年が60歳ということから、日本の団塊世代の退職は2005年に始まった。

次に、日本の労働者一人当たりの労働時間が、1980年代後半の約2,100時間から2000年代後半に約1,750時間まで下がったことをマットは引用している。しかし、働く時間の縮小は、より多くの余暇を求めた長期的な傾向の一部とも解釈できる。マット自身が大恐慌に関する投稿の中で指摘したように、アメリカは1920年から1980年までの期間、労働時間の低下を長期的に経験したが、その期間はほとんど景気の良かった年代である:

(このグラフは、マットが日本の状況を示すグラフと少し異なるので、直接比較することができない)

実際、日本の伝統的な過労文化を前提として、労働時間の低下はむしろ、本当であれば無報酬の報告されない時間外労働の上昇傾向であり、 悪いことではない。

マットが引用する傾向にもかかわらず、事実として日本の一人当たりのGDP実質成長は、2000年から2007年までの期間ではアメリカよりわずかに上回っている(ヨーロッパと同様に健闘した):

ポール・クルーグマン(Paul Krugman)もこれを指摘している。実は、私は2004年と2005年に日本に住んでいた。そして、(私がその下で働いた経済学教授を含む)みんなが日本の景気がどれだけ良かったか、と言ったのを覚えている。

もしも日本の2000年代に「失われた10年」があったのなら、同様に全ての先進国にも「失われた10年」があったことになる。だが、世界中で(例えば、アメリカでは空前の低い金利と高い財政赤字)色々な政策が実施される中で、全世界の需要不足につながった同時進行の政策失敗から同時に失われた10年を味わった、と結論付けるには無理があるように思える(全体需要は実際、日本で問題であったが2000年代中頃の強い成長は、量的緩和策とインフレ加速の次に続いたのである)。

よって、私はクルーグマンに同意する。日本で失われたのは20年間ではない。(90年代の)10年間だったのだ。

更新情報:
クルーグマンは、日本はもっと沢山やるべきことがあったし、より早く回復できたはずだ、と論じる。私はそれにも同意する。しかし、量的緩和の効果を知る政策の実験として、おそらく一番好事例となるうえで、小泉政権時代(2000年代早期から中頃)の成功が無視されてはならない。

更新情報2:
CEPR(Center for Economic and Policy Research)から、話題に関する追加情報。日本の生産性成長率は、1990年~2007年の間アメリカの生産性成長率を上回った! 私はそれを知らなかった! これらの数字を見ながら、不景気がテクノロジー・ショックに起因する、とまだ思っている人がいることを私は信じられない。


編集部より:この記事「Japan had one lost decade, but not two」はノア・スミス氏のブログ「Noahpinion」2012年1月10日のエントリーより和訳して転載させていただきました。快く転載を許可してくださったノア・スミス氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は、同氏のブログをご覧ください。