著者:五味 洋治
販売元:文藝春秋
(2012-01-19)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
政治家にとって、本音と建前の使い分けは極めて重要なスキルである。
五味洋治著「金正日と私-金正男独占告白-」(文芸春秋社)を読み、上記の点について再認識させられた。この本には、金正男と日本人記者のやりとり(メール+インタビュー)が綴られているのだが、金正男が考えているよりも、父・金正日の言動は遥かに深い考えに裏打ちされたものなのではないかと感じたのだ。
1.巧みな金正日
世襲に対する考え方を例に、金正日の本音と建前を推察してみよう。以下は金正男のメール及びインタビューからの引用である。
父は後継のことなどまったく考えないタイプの人でした。さらに三代世襲はさせないと自分でも言っていました。それは私が、自分の耳で聞いた覚えがあります。正哲、正恩も聞いているはずです(p.123)
父親が誰より三代世襲に反対してこられたので弟が後継者として落下点(決定)になる前まで、後継者議論はタブー視されていました(p.85)
金正男は上記を父・金正日の本音と考えている。晩年は、国内政治の安定を第一に考え、世襲を推進せざるをえなかったが、元々は世襲に反対だったというのだ。
金正男の理解をまとめると、以下の通りである。
・(暗黙の前提)父は常に本音を語っている。
・世襲に反対だと明示的に言った。
結論:父の本音は世襲反対だった。
しかし、金正日は北朝鮮での厳しい権力闘争を勝ち抜き、独裁者として長年、北朝鮮を率いてきた男である。事後的に世襲を推進することになり、方針がブレてしまうなどというミスを簡単に犯すだろうか。むしろ、常に本音は世襲賛成で一貫していたが、時期に応じて本音(世襲賛成)と建前(世襲反対)を巧みに使い分けていたと解釈する方が自然ではないか。なぜなら、建前上、世襲反対を表明しておくとメリットが多いからだ(例えば、以下の通り)。
(1)後継者候補の堕落防止
あまりに早くから世襲を表明すると、後継者候補が自己研鑽を怠る可能性がある。しかし、必ずしも世襲に拘っていないというポーズをとることで、後継者候補に対して、血縁者以外の優秀な人材とも競争しなければならないというプレッシャーを掛けることができる。
(2)軍・党幹部の志気の維持・向上
特定人物の世襲を表明すると、その人物と懇意な者を除き、懇意とは言えないその他の軍・党関係者の志気が一気に下がってしまうかもしれない。やる気がなくなるだけならまだしも、反乱などを起こされてはたまらない。誰でもトップや主流派になれる可能性を臭わせておくことは部下を掌握する上で重要だ。
(3)国際社会からの批判回避
世襲を貫くなどと馬鹿正直に言ってしまったら、国際社会から叩かれる材料を自ら提供するようなものだ。
もちろん、デメリットとして、世襲反対の建前を掲げている間は、後継者候補に対する帝王学の伝授が十分に行えないといったこともあろう。なので、上記のメリットを享受しつつ、いつ世襲賛成の本音をさらけ出すのかタイミングを熟慮していたのではないか。だからこそ、自らが病に倒れた後、やや急な形で金正恩を党中枢の幹部にしたとも考えられる。
以上、推測ではあるが、金正日は本音と建前を実に巧みに使っていたように見える。
2.直球勝負の金正男
一方、金正男は本音と建前の使い分けとはおよそ無縁のようだ。国の改革・開放などをストレートに訴え、度々、父親と対立していたという。
私は父親にいつも直言しています。機会ごとに、考えられる点などを、そのまま計画なしで直言します(p.82)
「改革・開放」は父親が最も忌み嫌っている言葉であり、意見するたびに父親の激怒を買った(p.20)
金正日は内心、冷や汗ものであったろう。国家体制の崩壊を招きかねない急速な改革・開放を軍部等の既得権者が聞きつければ、金一族の身に危険が迫ってもおかしくないからだ。
金正日は息子・金正男に対して「言っていることは理想的で正しい。しかし、そんなことは私にも良くわかっている。本音(理想、あるべき姿)を振り回すだけで、建前(戦術)を使いこなせない者に北朝鮮は統治できない」という厳しい評価を下したのかもしれない。
高橋正人(@mstakah)