Facebook人口が増えている。日本でのユーザーは600万人を超えたようだ。この勢いでは早々に1000万人を突破すると思われる。そして企業が開設するFacebookページも6万件程度はあるようだ。
そして、facebookのページ横にはいつも広告が表示されている。しかも、「○○大学を卒業した方の転職情報」などというように自分の属性をピンポイントについた広告だったりする。私自身それをクリックすることはないのだが、「友人の△△さんがいいねと言っています」なんて表示もあるので、気になることは気になってしまう。
そしてFacebookを生んだアメリカでは、入社選考の際には応募者のfacebookを確認するのがもはや当たり前となっているそうだ。また70%の大学で入試の際の参考資料としてFacebookを利用しているという。実名制だからそのようなことが可能になっているのだが、そうなると個人も馬鹿な行動記録をfacebookに記録すると企業や大学の担当者から遡ってその記録を見られることになり、“若気の至り”なんてものも消せなくなってくる。勢い自分を着飾ったページを作ることになる。先日、私自身も、最近Facebookを始めたばかりの高校生に「将来、大学のAO入試や就職にfacebook審査が加わるかもしれないから、馬鹿なこと書き込まないほうがいいよ」とアドバイスした。
つまりそういうことだ。Facebookは個々人が着飾った“見栄を張った”情報の塊になるわけだ。以前だれかが「Facebookは30年後の高校の同窓会みたいなものだ」と書いていた。たしかに言い得て妙。いまの自分の生活が充実している“リア充”でないと出席できない。50歳前にもなって「離婚して一人暮らし」とか「無職」だとかでは人前に顔を出せないのだ。
Facebookも結局のところ、書き込みのほとんどは、美味しいもの食べたとか旅行に行ったとか、ある意味“ハレ”の状態を書き込むことがほとんどだ。私自身もそうなのだが(笑)。つまり自分を“リア充”に見せる個々人の広告ページがFacebookなのだ。そう考えると個人から企業まで、総広告サイトがFacebookの姿だといえるのではなかろうか。
もちろんネガティブなことを書く人も少なからずいることは知っている。しかし基本は、ちょっとだけ背伸びした自分を人に見てもらいたくて書き込む人が多いと思う。そして、その先には、ユーザーが素の自分をさらけ出すためにもう一つのアカウントを別名で登録して親しい友人のみに教えるという行動に出ることは容易に想定できる。そう考えると、近い将来Facebookは日本のSNSのようにスマホで個人認証しないと登録できないサイトとなるような気もしてくるのだ。
(田代真人/編集者)