最低保障年金案に対する建設的議論の論点

土居 丈朗

民主党は2月10日、昨年3月に実施した最低保障年金に関する財政試算を正式に公表した。その全文は「新制度の財政試算のイメージ(暫定版)」―民主党(PDF)を参照されたい(この文は2月11日に追記)。そのイメージ図は、図1のようになっている。報道関係者にはその資料が渡っていながら、一時は非公表とするといった一悶着はあったが、年金制度のあり方について国民的議論を喚起する意味では、公表したことはよいことだ。ただ、この公表を、政局にからめたり、最低保障年金制度の含意を中途半端にしか理解せずに為にする批判をしても、何もよいことはない。今必要なことは、民主党政権を支持するにせよしないにせよ、国民が真摯に年金制度のあり方を議論することである。

先月末以来、新聞・ニュース等で報じられた内容を、今から振り返って見ると、報道関係者もこの年金試算の真意を十分には理解しきれていないように思われる。民主党が掲げる最低保障年金を導入すると、消費税10%への引き上げとは別に、最高で約7%の追加増税が必要になる、といった報道が多く取り沙汰されたが、追加増税だけに焦点を当てては、この年金改革案の問題の核心に迫ることはできない。ましてや、基礎知識なしに図1を見せられても、何を意図しているか容易にわかるものではない。

では、民主党が公表した最低保障年金とは、どのようなものかを見てみよう。と、その前に、そもそも最低保障年金のアイディアがどういう含意を持つかについて、我が国の現行制度との比較で基礎知識を持っておくことが重要である。

図1

民主党・最低保障年金の支給範囲(2065年の姿):作成者・土居丈朗


そもそも、現行の公的年金は「2階建て」で、1階部分に、半分を税、半分を保険料から財源を得て給付する基礎年金と、2階部分に、保険料を財源とした所得比例年金がある(図2-1)。現行の仕組みは、保険料納付記録に基づき給付するので、社会保険方式とも呼ぶ。また、2004年の年金改正で、我が国の公的年金は賦課方式的な色彩を濃くしたことも踏まえておこう。

図2 社会保険方式か税方式か

社会保険方式か税方式か:作成者・土居丈朗

これに対し、民主党にも自民党にも、基礎年金は全額税で財源を賄うべきだとする「税方式」論者がいて、図2-2のイメージのように現行制度を改革してはどうか、という提案が、2009年の政権交代前からあった。無年金、低年金となる高齢者が生活保護受給者になれば、資力調査(ミーンズテスト)した上で、その給付は医療費も含めて全額税で賄われるのだから、資力調査なしで全額税財源の基礎年金給付を出せばよい、というのが1つの論拠である。

ところが、基礎年金を全額税で賄うと、将来的にはそれなりの追加増税が不可避となる。そこで、増税幅を圧縮すべく、所得比例年金で多くの給付を受ける人(現役時代に高所得の人)には税財源で賄われる給付を段階的に削減する(これをクローバックという)アイディアが出された(図2-3)。

ただ、社会保険方式と税方式の考え方の対立は観念的に大きく、この両者のどちらにするかという神学論争を続けていては、年金改革は遅々として進まない。そこで、給付額や財源が結局同額なら、どちらの方式であるかは不問にするという発想からか、図2-4のように、2階部分の所得比例年金を下におろし、1階部分の原則税財源のクローバックつき基礎年金を所得比例年金の上に乗せるような形で考えて、所得比例年金給付が少額の人には税財源で賄う「最低保障年金」を給付してはどうか、というアイディアが出てきた。これが、今般民主党が公表した年金試算で用いられたアイディアである(もちろん、民主党はこの案を党の方針と決めたわけではない)。

図2-1や4を意識して、図1を見てみよう。支給範囲(4)は、まさに図2-4を想起させる「最低保障年金」で、生涯平均年収260万円までは最低保障年金全額支給し、それ以上の人にはクローバックし、同690万円以上の人には最低保障年金は支給しないこととする案である。支給範囲(1)は、所得比例年金給付額が7万円を下回る人にだけ最低保障年金を給付する案である。当然、支給範囲が広いほど必要となる税財源が多くなる。2075年にはその税財源が最大となり、支給範囲(1)は消費税率換算で2.3%の追加引上げ、支給範囲(4)は同7.1%の追加引上げが必要という試算結果となっている。これが、公表される前から報じられていたのである。

ここで注意したいのは、図2-1のような現行制度を存続する場合でも、基礎年金国庫負担のために、2075年には消費税率換算で2.4%の追加引上げが必要であるという点である。ここで間違ってはいけないのは、最大7.1%の追加引上げが必要な最低保障年金導入と比較すべき対象は、追加引上げなしというものではなく、最大2.4%の追加引上げが必要な現行制度、ということだ。

図3 最低保障年金について意味ある議論の論点

最低保障年金について意味ある議論の論点:作成者・土居丈朗

さらに、この最低保障年金導入の是非を議論する上で、建設的な議論をするためには、次のような点に気を付ける必要がある。まず、現行制度と最低保障年金導入との比較で、誰の給付が増え、誰の給付が減るか、という視点から是非を問うべきではない。国民全体で年金のための財政負担を増やせば、得をする人を増えるのは自明なことである。むしろ、今こそ問うべきことは、どのような意味を持つ給付にどの財源(税か保険料か)を充てる仕組みとするか、である。

そこから問われるべき論点は、1つとして、高所得者(所得比例年金を多く給付する者)に税財源を投じる年金給付を抑制してよいか、である。現行制度でも、2分の1とはいえ基礎年金には税財源が投じられ、高所得者にも給付されている。高所得者は、所得比例年金だけでも十分に生活ができる給付を受けているのだから、年金受給権とは直接的にリンクしない税財源の給付は抑制しても支障は小さい、という見方がある。年金への税投入を抑制する方策としては、高所得者への給付の税投入を抑制することが考えられる。まさに、現行制度との比較でいえば、図3右側の★印の部分が相当する。

もう1つは、最低保障年金は原則すべて税財源で賄ってよいか、という論点である。現行制度では、基礎年金にはその2分の1しか税財源を投入していない。それと比べて、図3右側の☆印部分に相当する分だけ、税財源を追加投入して最低保障年金の役割を果たそうというわけである。最終的に、追加増税がどれだけ必要かは、☆印の追加分と★印の抑制分の差に依存する。

その上、これらの図では表し切れていない生活保護への税投入と最低保障年金との対応関係も視野に入れる必要がある。現行制度では、無年金・低年金者は生活保護受給者となり、受給者の医療は全額税財源(患者負担、医療保険料負担なし)で賄われる。他方、最低保障年金では、保険料を現役時代にほとんど払わなかった高齢者も最低保障年金がもらえて生活保護受給者にはならない(と見込まれる)が、年金収入から患者負担、医療保険料負担を払うことになる。そうすることで、目下3兆円に達する生活保護費(受給者うち65歳以上は41%:2009年)への税投入額がその分だけいらなくなる。

しかし、最低保障年金には、別の視点で大きな問題が残される。それは、現役時代の所得比例年金保険料を払う誘因が損なわれ、勤労意欲を阻害する懸念である。図1の支給範囲(1)に典型的に表れているように、現役時代にある程度所得比例年金の保険料を払っていながら、生涯平均年収380万円以下の人は、所得比例年金と最低保障年金の合計支給額がほとんど同額になることに起因する。別の言い方をすると、最低保障年金のクローバックをきつくすればするほど、追加増税は少なくできるが、この問題が生じることになる。

このように、最低保障年金案の是非は、単に損得勘定だけで決めるのではなく、また増税を伴うならどんな年金改革も忌避するのではなく、どのような理由付けを持って年金の給付と負担を行えば信頼できる年金制度にできるかという観点から、国民的に広く議論することが求められよう。(慶應義塾大学経済学部教授・土居丈朗)