復興庁という新たな霞が関

大西 宏

先週、復興庁が正式に発足しました。平野復興相の下に副大臣2名を置き、霞が関に本庁を、また盛岡、仙台、福島各市などの被災地の6カ所に支所を置く組織です。しかし、この復興庁は、まず復興庁そのものが必要なのかという議論はさておき、復興の促進がほんとうに期待できるものかどうかについては、基本の構えから疑問を感じさせます。


疑問は、なぜ本庁が東京になければならないのかです。さらに各省庁から人材を集め、縦割り行政の弊害をなくそうということですが、復興庁の常勤職員250人のうち160人は東京勤務で、被災地に配置されるのは、90名に過ぎないというところに筋の悪さを感じさせます。

いくらでもテレビ会議を行うこともできるので、現地に本庁を置き、大臣、副大臣との調整、また他の省庁との調整に支所を東京に置くというのならまだわかるのですが、現場感覚もない官僚が、現場から離れた東京で司令塔を担うということの不自然さがまかりとおることは、そこに信じがたい感性を感じます。

いくら霞が関に潜在的には有能な人材がいたとしても、実際に必要な施策については、会議室で情報を集めるだけでなく、現地に身を置き、現地を体感した感性がなければ、想像力も創造力も働きません。「事件は会議室で起こっているわけではない」のです。結局は、国会、他の省庁との調整に重点を置くという、企業で言うなら供給側の都合を優先したということでしょう。

確かに、被災地の各自治体が縦割り行政の弊害のある省庁ではなく、いわばワンストップで受け付けるメリットは生まれたとしても、結局は陳情先が一カ所にまとめられたに過ぎず、だから読売新聞社説のように「市町村からの相談・要望を待つだけでなく、復興庁側が『ご用聞き』に回る姿勢が肝要である」という寝ぼけた発想も生まれてきます。
復興庁発足 「屋上屋」を排し事業の加速を : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) :

霞が関が、机上の計画で、無駄な公共工事、外郭団体をつくりつづけ、どれだけ日本に損失を与えてきたか、霞が関でなくとも地方でも、さまざまな経営感覚もない第三セクターをつくり、失敗を続けてきた反省がそこにはありません。
現実は、小説よりも奇です。現実の変化は、人口動態などのように予測できるものもありますが、多くは人が想像できる範囲を超えています。これは実際に市場と向き合ってくると痛感させられることです。

予期せぬ脅威、また予期せぬ宝の山が市場には潜んでいるものですが、それは実際にビジネスを行なわなければ、いずれも発見することはできません。そういった変化に対応してつぎつぎに施策を生み出していくためには、やはり人材が渦中にいて、その変化を体感することが欠かせません。

発想が小さいと感じます。もっとダイナミックに東北から、新しい産業と社会の新しい渦を巻き起こすという発想が欲しいものです。そうなると、被災地の総生産を何年までにどれぐらいまで伸ばすかの目標値、またその中味も必要になってきます。そうでなければ「復旧庁」にもなりかねない危うさを感じます。

そのために必要なことは、被災地に予算、権限、人材を投入することだと思います。この3点セットが不可欠です。まずは、予算と権限をもった復興庁を被災地に置けば、人材は集まってくる可能性が一挙に広がります。

結局は、なにもかも司令塔は中央に置くという明治以来の途上国発想、戦時体制の愚から卒業できないということでしょうか。それが日本の最大の病だとそろそろ気がついて欲しいものです。