大学に行くに越したことはない:より多くの選択肢を持つために

松岡 祐紀

高卒の自分がこんなことを言う資格はないかもしれないが、大学は行くに越したことはない。ただし、以前、「大卒という資格の幻想」でも書いたが行くのであれば一流大学に行かないとあまり意味はない。

(寄稿記事)大学なんて行く必要ない。

上記に取り上げられている上田さんのケースの場合は、別に大学に行かなくとも彼ならば十分にやっていけるだろう。彼自身が言うようにソーシャルメディアを駆使し、会いたい人と会い、次々と連鎖的に素敵な出会いがもたらされていくことは想像に難くない。

Facebook、Twitter。これらのソーシャルメディアは僕ら若い世代に「社会的な機会の均等」という大きな変化をもたらしました。

いつそんなものがもたらされたのか?
出来る人間はますます現代が産み出したツールを使いこなし、やりたいことをやり遂げていくかもしれないが、それ以外の人たちに取ってみればソーシャルメディアなんて存在していないのも同然だ。友人がFACEBOOKを始めたから、とりあえず始めてみる・・・・・その程度のシロモノにしか過ぎない。


以前、アメリカのベンチャー企業と関わったことがあったが、そのときボスとなったのはスタンフォード大学のMBAを取り、由緒正しい家系の白人男性だった。だが周囲の評価は最悪で、実際に一緒に仕事をしてみても、周囲の評価通りの人物だった。

だが、しかし彼は一般の人より数十倍の年収を稼ぎ、特にたいした成果も出さず、それまで生きてこれた。なぜか?
ただ単純に名門大学出身で血筋が良く、白人だったからだ。

能力がなければないなりに、ほかの長所を自分で見つけて、それを最大限活かすしか生き残る道はない。大学にも行かず、実力だけで生き残っていけるのはほんの一部の人間だ。(自分自身、今まで運良く生き残ってきたが、一寸先は闇だ。今までもそうだったし、これからもそうだと自覚している)

これまでもこれからも、なるべく大学は行ったほうがいい。その事実に変わりはない。しかし、そのような道から外れるのであれば、それなりのリスクを犯していることを自覚すべきだ。闇雲に一般論として、「大学に行かないこと」を奨励しても誰の得にもならない。

まだ可能性が多く残されている若い世代が、自ら自分の可能性を狭める必要はない。今の段階でとりあえずやりたことが決まっていないのあれば大学に行けばいいし、また大卒という資格をとりあえず手に入れることによって、多くの選択肢がもたらされる。(今流行りのアジアで就職する場合でも大卒は必須の資格だ)

世界は一刻一刻と移り変わり、また自分の目標も変わっていくだろう。そのときにより多くの選択肢を持っているものが有利な立場に立つことは明白な事実だ。今やりたいことに固執せずに、いつでも身軽に動けるように準備することが、ますます生き残ることが厳しくなっていくこの時代にあった処世術ではないだろうか。

株式会社ワンズワード 松岡 祐紀
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