豊かな自治体から貧乏な自治体への財政移転は、何故必要なのか。今回はそのことについて考察する。
地方自治体が行うサービスの目的は、基本的にそこに住む人々が不自由のない生活を送るためである。だから、豊かな自治体と貧乏な自治体に住む人の間で受けられる住民サービスに差があるのは、不公平であろう。
では、豊かな自治体というのはどういう自治体であろうか。
全体的に見ると、地方税の内訳は、市町村であれば固定資産税の割合が最も高く、次いで個人が納める住民税になる。都道府県は、個人の住民税と法人が納める税金がほぼ同等で、次いで地方消費税になる。
ということは、豊かな市町村というのは地価が高い所で、次いで金持ちが多く住んでいる所、都道府県では、金持ちが沢山住んでいる所と、儲かっている企業が沢山ある所、ということになる。
地方税がこの構造である限りは、地価が高かったり金持ちが多く住んでいる所に住んでいれば、質の高い住民サービスを受けられるということになる。それはあんまりではないかと、私は思う。
長崎市の郊外に香焼町という所がある(現在は長崎市と合併)。ここには三菱重工の造船所があり、財源が豊かであったため、高レベルの住民サービスが受けられた。一例としては、通学定期代を全額町が負担していた。
私の高校の友人に、実家が香焼町の酒屋だった人がいる。彼は長崎市内の高校に通っていて(そもそも香焼町内に高校はない)、高校三年間定期代がタダであった。しかし、もし彼の実家が車で2~3分離れた長崎市内にあれば、全額自己負担だったのである。これは公平なのだろうか。
多少話は横道にそれるが、「自治体が赤字なんだから、給料を下げて当然だ。企業だって赤字なら給料を下げるんだから、自治体もそうすべきだ。」という意見をよく聞く。しかし、それは違うと思う。というのも、この理屈だと、自治体が儲かっていれば、そこで働く公務員の給料はどんどん高くしていい、ということになるからだ。
豊かな自治体というのは、自治体職員の努力以外に依る要因が大きい。例えば原発が立地しているから、ということなどがある。
佐賀県は市町村合併が進んで、小規模な自治体は少なくなった。しかし、原発が立地する玄海町は、合併せずに残っている。何のことはない、原発による財源を、他の地域に使われたくないから、合併しなかったのである。
となると、もし玄海町の原発が廃炉になって、玄海町に原発関連の補助金が来なくなって、玄海町が財政難になっても、合併してくれる周囲の自治体は、ないだろう。
公務員の給料の話に戻すと、公務員の給料は、あくまでその地域の民間準拠にすべきなのだ。大阪市の公務員厚遇問題が話題になっているが、それも財政が豊かだった時代にどんどん福利厚生を充実させた結果である。金に余裕があるからといって、公務員の待遇を過剰によくしていいはずがない。つまり、財政が豊かでも貧しくても、民間に準拠させるという考え方が重要なのだ。
それはさておき、今の地方税の構造だと、景気の動向に税収が左右されるという問題もある。地方自治体が行うサービスは、景気に左右されるべきものではない。それよりも、住民の数に比例するべきものだろう。人口に応じて安定した税収があがることを目指すべきで、景気の善し悪しによって変化すべきものではない。
そして、自治体間の格差を是正する目的で、国からの財源移転が行われている。財源移転を国が行うために、そこに恣意性が生まれる余地が出るので、問題がある。また、「自分が納めた税金が他で使われるのは、けしからん。」と言う人が多数出てくる。
これを防ぐためには、最初から人口に比例し、景気に左右される度合いが低いような財源を地方に与えればいいのだ。そこで消費税を地方税にする、という考え方が生まれる。消費税は今の地方税に比べると、遥かに人口に比例し、かつ安定するという性質を持っている。
このことは、私が大学院に在籍していた時に、現在は名誉教授になられている神野直彦氏のグループが提言していた。最近この話を聞かなくなったということは、いろんな点で障害があるのだろう。
今のシステムでは、高度な住民サービスを受けるには、裕福な自治体に住め、ということになる。私は東京にいた頃、港区に住んでいた。東京都港区は、全国でも有数の裕福な自治体である。だから港区に住むといいことがあるのだが、「港区に住んでます」と言うと、周囲の反応は全て「私は住めない」というものだった。
やはり今の状況は、おかしいと思う。
前田陽次郎
長崎総合科学大学非常勤講師