原発停止によって失われる命

村上 たいき

震災直後にも書いたが、大事なことだと思うので改めてアゴラに投稿したい。

東日本大震災では死者行方不明者は2万人にのぼり(2012/2/10 警察庁)不幸な出来事だった。日本人の多くの人々が、犠牲者に対して追悼の意を持ち、生き延びた人々にはいろんな支援をした。これ自体自然で、当然なことだと思うが、私は違和感を感じている。

日本ではバブル崩壊時に自殺者急速に増え、平成10年以降、毎年3万人を超える自殺者を生んでいる。毎日80人ほどが自殺している計算だ。日頃この3万人の犠牲者に関心をまったく向けない人々が、震災犠牲者ばかりに目を向けるのを見ると、私は複雑な気分になる。


ところで、自殺者のうち経済的理由(倒産、事業不振、失業、就職失敗、生活費、負債、借金)に分類されるのは1/4程度だが、年収と健康に正の相関があることを考えると、実際にもっとお金があったら自殺にいたるケースはもっと減ると想像する。また人間の生活充実感自体も600万円あたりまでは年収と正の相関がある。また年収と寿命に関しても正の相関がある。さらに言うと、自殺率と年収自体にも負の相関がある

ここでわかることは「経済は人の命と幸福を支えている」ということだ。統計上不十分なところはあるが命が関わる以上、多少保守的に見ても問題ないだろう。自殺の抜本的な解決策を打てていない今、経済への打撃は命への打撃だ。震災が発生し、サプライチェーンの寸断の問題が多く取り上げられたが、震災関連で日本経済へ最も大きな打撃を与えているのは原発停止だ。これから雇用、事業へじわりと影響が出て、それが人の命に関わってくるだろう。

原発全面停止が一部で叫ばれているが、それにより失うもの得るものそれぞれ良く考えるべきだろう。

村上たいき

更新: 正負の間違いがあったので修正しました。