東日本大震災から1年近くが経過しました。しかし震災瓦礫の受け入れ先が決まりません。本来日本の技術力からすれば、相当に処理が進んでいて然るべきです。やはりこれも放射能デマが原因でしょう。これはとても悲しい事です。現在被災地と、被災していない地域の一部の受け入れ反対派の方々との間で、瓦礫の受け入れを巡って対立関係の様な構図が出来上がってしまっています。瓦礫の受け入れを知事が表明すると、瓦礫を押し付けるなと言う反対運動が起こったりします。
何もかも失って仮説住宅での生活を強いられている人達は、国だけが唯一の拠り所の筈です。瓦礫の受け入れを頑なに拒否すると言う行為は、この唯一の拠り所さえ奪う事になるのではないでしょうか。瓦礫の処理に時間がかかればかかる程復興は遅れ、被災地と被災していない地域との間の亀裂は広がっていくのです。それこそLNT仮説が当てはまるでしょう。
この度の震災は国家の根幹を揺るがす程の大惨事でした。当然この復旧、復興は国の責任で速やかに行われるべきです。では「国とは一体何なのか?」と私は問いたいのです。政府を差して国と呼ぶ場合も有ります。政府とは国会議員で構成されており、国会議員は我々国民の代理人に過ぎません。つまり国とは国民の集合体であって、我々一人一人が国そのものと言えるでしょう。この様に考えた場合、震災の復旧、復興には国民一人一人が責任を負っており、当然瓦礫の処理も全ての国民が協力して成し遂げるべきでしょう。
津波によって家財を流された人々は、同時に友人や家族、これ迄の人生の全てを流されたと言っても過言ではないでしょう。何もかもです。では被災していない我々が瓦礫を受け入れたとして、何か失うものが有るのでしようか。何も無いでしょう。仮にDNAが少々傷ついたとしても、その修復には1日、大袈裟に見積もっても数日有れば十分でしょう。これは専門家が書いた良書の1冊も読めば直ぐに理解出来るでしょう。
自民党の河野太郎先生が自身のブログ(編集部注:「ごまめの歯ぎしり」)に於いて、瓦礫の処理で発生する放射線量に就いて詳しく説明して下さっています。この程度の低線量被曝のリスクより、思いやりの心や国民同士の信頼関係を失うリスクのほうが、遥かに深刻だと考えます。
各都道府県の知事の皆様、ここは一つ連携して全国同時に瓦礫の受け入れを表明しては如何でしょうか。そうして良いコーディネーションを作り上げれば、反対運動も起こりずらいでしょう。
横山 龍
会社員