最近、揚げ足取りや「ゴネ」が、政治の常道と化しているのは残念です。「ゴネ」は、地方首長の補助金交渉には特に便利らしく、マスコミの応援さえあれば大手を振って闊歩しています。
物議をかもす事を覚悟して言わせて頂くと,「ゴネ」のチャンピオンは、何と言っても沖縄県知事です。
「ネゴ」は利害の異なる相手と交渉を重ねて合意点を探すプロセスですので、周到な調査や準備が必要ですが、相手に何も渡さない「ゴネ」は、「へりくつ」さえあれば、調査も準備も必要ありません。
沖縄を訪問した野田首相が、沖縄振興2法案の成立や基地負担の軽減には全力を挙げるので、辺野古移設問題では宜しくと深々と頭を下げて御願いしたのに対して、仲井真知事は沖縄振興2法案の早期成立、那覇空港の滑走路増設などを要求しながら、普天間飛行場問題は、県外、県外、県外、(いやだ、いやだ、いやだ)と言い通したと報道されました。
「基地は駄目だが、経済的恩恵は寄こせ」と要求する事は「ゴネ」に聞こえて仕方ありません。
沖縄には、本土の日本人の利益を守る為に、狭い沖縄に日本の基地の75%を「押しつけ」、沖縄県民だけが犠牲になっている。これを変えるには沖縄が独立し、国と沖縄を人口比ではなく、一対一の対等な関係にするしかないと怒りの火に燃えた、「独立論」が高まっていると聞きます。
これは尤もな怒りです。
沖縄が独立を選択した場合、補助金なしの経済自立がまず問題になりますが、手っ取り早いのは、有利な地政学的要件を利用して「基地貸与権」を米国、中国、ロシア、日本などを相手に競争入札に掛けることですが、これでは「怒りの火が燃えた」理由が判らなくなります。然し、政治的信条として、今すぐ基地を無くせと言うのであれば、日本政府の対外コミットや外交、防衛政策を考えると、独立しか道はありません。
本土に住む日本の人々が、沖縄独立を拒否する権利はなく、沖縄独立に憲法改正は必要ないと言う私の理解が正しいなら、沖縄県民の自由意志で決着をつける事も意外に簡単かもしれません。
沖縄では又、住民が一番求める「基地撤去」が実現しない為に「経済的な恩恵」と言う「悲惨な選択」を迫られたのだと言う考えもあると聞きます。
この考えも良く理解できます。
仲井真知事のお話を聞いているうちに、少子、高齢化に加え、小泉改革やバブルの破裂で、地方格差の被害を受けている沖縄に、基地の騒音と危険が重なり、住民は安心して住む場所さえ失いつつあると言う印象を受けていました。
これが事実であれば、本土に住む日本人は何らかの形で沖縄県民にその代償を払う義務があるのも当然です。
処がです。実際は、2000年頃から沖縄への流入人口が沖縄を離れる人を上回り、その後もこの傾向は変わらず、最近は純人口流入数が日本でも常にトップクラスの県なのです。
流入人口の大半が東京、神奈川、近畿と言った大都市圏からで、「危険」や「騒音」を求めて来た移住者でもなければ、格差の犠牲になった難民でもなく、沖縄のライフスタイルに憧れ、自ら移住して来た現役世代です。老齢者が温暖な気候を好むのは世界共通で、高齢化が進む日本は沖縄への追い風で、少し工夫すれば投資を呼び込める日本でも数少ない明るい未来が約束された土地柄なのです。
米国のアファーマティブ・アクション(Affirmative action)と言う、歴史的差別で受けた過去の損失を、現在価値に引き戻して是正せよと言う、日本の同和対策に似た「差別弁済論」を、沖縄問題に持ち込む人もおりますが、沖縄は「差別弁済論」を必要とする段階は卒業して久しいと言うのが私の意見です。
何れの考えにせよ、個人の歴史観を現実の問題と混同する論議は、問題を複雑にするだけです。それより「沖縄問題と基地問題を切り離して考えろ」と言う池田先生のお考えを実行する時期に来ていると思います。
普天間基地周辺住民の大半が、普天間に基地が出来てから移住して来た人達だそうですが、それであれば、基地の持つリスクを承知して移住した筈です。百歩譲って、これほど危険でうるさいとは思わなかった、出来れば他に移りたいと言う人が居れば、基地の移転にかかる巨費を新住宅地域の開発に廻して、住民の集団移転を考えた方が、辺野古という新基地を設置する必要もなく、普天間の危険も軽減するなど文字通り一挙両得です。
一方、日本に属していながら、政府の「日米同盟の基本ライン政策」に納得できず、沖縄の米軍基地を拒否し続けるとなると、海外から見た日本は、全土に統治権が及ばないアフガニスタンやパキスタンと同様だと見做される危険すらあります。これでは国の名前に値しません。
沖縄県民の自由な意思で「独立」するか「日本に残り、中央政府に反対することはあっても、最終決定には従う」かを選択しないと、沖縄問題は永遠に解決しないのでは? と恐れます。
日本政府が沖縄県民に負っているとすれば、先ず第一に「独立」か「憲法で定める日本国民の権利と義務を忠実に行使する事を前提に、日本に残る」かの選択の機会を県民に与える事です。さもないと、外野の政治的な意見が錯綜し、沖縄の発展も基地問題の解決も出来ません。
私は、沖縄県民が望む物は、同情でも補助金でもなく平等な機会と投資を呼び込める環境の整備だと信じています。
私の希望に反して、沖縄県民が独立を選択したとしても、これまで国の安全をアメリカと沖縄におんぶして来た事に初めて気がつき、日本人が大人の国民に成長する可能性もあります。そうであれば、日本にとっても大変な収穫です。
北村 隆司