ジャーナリスト・津田大介氏による女川町の廃棄物選別処理施設の取材関連ツイートに好感を覚え、その情報提供のあり方に価値を見出した人は多いのではないだろうか。筆者もその一人だが、20万ものフォロワーを抱えた人物が「瓦礫受け入れ問題」というセンシティブなテーマを扱ったにもかかわらず炎上しなかったこと、そしてそれがバイアスのかかっていない報道として成立し得たこと、まずこれ自体が意義深い。
リンク先を見れば分かる通り、現場写真を添付しながら適宜注釈を加え、客観性の高い情報を提供に努めている。また、その後も女川町の災害廃棄物の受入処理に関する資料などの紹介をしながらも、「感情論」や「べき論」はできる限り排除している。これは津田氏ならではのアプローチではあるが、リアルタイムで現場の空気を伝える方法としてこれ以上のものはないと言えるだろう。
これだけだと津田氏の仕事っぷりを讃える話で終ってしまうので、もう一歩先に進もう。炎上しなかったのは、ただ単に津田氏がジャーナリストとして優秀だからという理由だけではない。炎上しなかった理由は、もうひとつある。それは、「つまらない」からだ。
もちろん、津田氏のジャーナリストとしての言動は価値がなく、つまらないものだというわけではない。炎上させるネタとして「おもしろみ」が欠けるということだ。これは、逆に「おもしろい」炎上事件の例を挙げるとわかりやすい。
◎カンニング竹山氏の福島旅行と炎上
◎【炎上】たむらけんじ氏vs脱原発派&反瓦礫受け入れ派、焼肉屋の営業妨害へ
ここには「おもしろい」どころか看過できない問題があるのだが、それを浮き彫りにすることで津田氏の取った行動の価値がより明確に見えてくる。散々絡まれてきて「煽り耐性」が身に付いている津田氏とお笑い芸人は比較にならないという見方もあるが、一旦は「敵」にしやすいか否かという観点で考えてほしい。
まず、なぜこのような炎上事件が日常的に起こるのか。思想家・内田樹氏の言葉を借りて説明しよう。内田氏は折に触れて「呪いの言葉」について語っているが、これは必ずしもインターネット上で匿名の人間によって繰り出される罵詈雑言を指すものではない。
曰く、「呪いの言葉」とは人を記号化したり、カテゴライズしたり、一面だけを切り取ってその人の全体を表してしまう言葉である。
また、そのような「呪い」かける人たちを、「本来は多様で複雑な人間の存在を、単純化し、記号化してしまう。例えば、ある作家について語るとき、その人の著書も読まずにインタビュー記事の一行だけをつかまえて、全人格を否定するような人」と説明している。
上記の例はまさに、この状況を示している。もしかしたらカンニング竹山氏の言動には何らかの意図があるのかもしれないが、ここにある数々の誹謗中傷は、可能性があるというレベルに対して向けられるものとして明らかに常軌を逸していると言えるだろう。
ただ単に疲れを癒すために温泉に行って野菜買って帰ってきただけかもしれないのに、「原発利権の関係でそういう発言をしなければ仕事をもらえないのはわかるが、間違ったことであっても著名人であり影響力があるのだから、そういうことは言うべきじゃない」と呪いの言葉をかけて、「是正」を要求する。仮にこの要求が正当だとすると、竹山氏は完全にお忍びで旅行し、ツイートもせず、野菜も買わずに帰ってこなければならないことになる。有名人だからという理由だけで、過剰な要求が行われているのだ。
たむらけんじ氏の「瓦礫受け入れ発言問題」も同様で、何も知らない人間が軽はずみに発言するなという批判から派生して、そんな適当な発言をする人間の運営する焼肉店の肉はキケンだ、安全なことを証明してみせろ!という流れになる。これはもうひとつのパターンであり、すでに「呪いの言葉」の王道になっている。ここにおいて、炎上はしかるべくして起こるものであり、恣意的に発生させることができるものでさえあるのだ。
一方で、津田氏の女川町訪問は、客観性が高く、そうするべきじゃない、もしくはこうするべきだと「要求しにくい」から、炎上しない。報道としての価値があっても、そういうものはネタとしては「つまらない」のである。つまらなければ絡んだり煽ったりしないため、炎上することがない。
津田氏は、取材の数日前にTwitterで「しかしこのがれき受け入れ問題はいくつものレイヤーが複雑に絡み合ってるし、地域による差異も大きいのでなかなか安易に結論出すことはできそうにないね」とつぶやいていたが、このことからも諸問題の繊細さと炎上発生条件を鑑みた上で行動したことが見て取れる。
多くの人に生の情報を届けるために、伝聞ではない客観的な事実をビジュアルで見せ、「◯◯派」とレッテルを貼られないよう立ち位置をあえて定めず、議論のタネを生み出さない。このように、炎上しないようコントロールしたことこそが、津田大介氏の「女川町訪問」が炎上しなかった理由であり、価値である。
青木 勇気
@totti81