なぜ東京に原発を作らないのか?

藤沢 数希

筆者は、原発を再稼働しないことは非常に愚かなことだ思っている。原発を代替できる技術は火力だけで、原発を代替するために追加的に年間3兆円~4兆円ほど余分に燃料代がかかる。原発の発電コストのほとんどは建設コストや維持費などの核燃料以外の部分なので、原発を再稼働させないことは、同じ量の電気を作るのにほぼ2倍のコストを支払うことになる。さらに、統計的には、化石燃料による大気汚染のほうがはるかに大きな健康被害がある(これは大気汚染が呼吸器系や循環器系の病気の原因となるだけであり、多くの人にはその因果関係の実感がない)ので、筆者の推定によると全ての原発を火発で代替すると、やはり千人単位の病死者が増える。これらのことは筆者には昨年の原発事故のあとすぐにわかっていたことであり、そのことを筆者はブログなどで警告していたが、残念ながら現実はそのとおりになった。


こういったデータにもとづく科学的な議論に対して、再稼働に強行に反対している反原発の人たちの決め台詞は「そんなことをいうなら福島に住んでから言え」と「だったらなぜ東京に原発を作らないのか」であった。このうち前者については、ジャーナリストが次々と福島第一原発に行ったり、放射能で40万人死亡すると煽っていた反原発の運動家まで素知らぬ顔で福島で取材していたり、筆者のようにふうつに福島を旅行する人が多数現われるとともにあまり聞かれなくなった。そして、最近は後者の方だけが決め台詞になったようである。そこでこのことについても理由を書いておくことにする。その理由はみっつある。

ひとつ目の理由は「東京の土地は馬鹿高い」である。市場原理というのは極めて強力なもので、たとえば街の牛丼屋を見てみると、どれも似たような値段で売られている。2倍の値段で牛丼を売っても、客が他の店にいくだけだからだ。同じ牛丼なら安いところで食べるのだ。電気も同じだ。同じ電気なら安く作れたほうがいい。原子力発電所を作るには広大な施設を建設する必要があり、土地代が馬鹿高い東京でそのような巨大施設を作る合理性はない。むろん多少の送電ロスがあるが、土地が余っている田舎に原発を作って、電気を都会に売るのが合理的だ。これは電気に限った話ではない。東京に牧場はないし、田んぼもない。実際問題、東京に原発を作らない理由のほぼすべてがこういった経済合理性で説明がつく。

ふたつ目の理由は「政治的コスト」である。幸か不幸か、反原発運動家のおかげで、原発は政治的に著しく不人気だ。そうすると建設するために住民を説得する必要がある。説得する大変さは、人数に概ね比例するので、人口密度の高い東京では、そのコストは極めて大きくなる。これもある意味では経済合理性の問題だが、ここにも東京に原発を作っても電気を安く作れない理由がある。

みっつ目の理由は「原発は危険だから」である。世の中には安全なものと危険なもののふたつがあるわけではない。それらは反原発運動家の心の中だけに存在する概念で、現実社会はリスク特性が違うさまざまな発電方法があるだけである。筆者はチェルノブイリ、福島の事故後であっても、統計的には原子力がもっとも安全だと確信しているので、原子力政策を安易に後退させるべきではないという考えだが、だからといって原発がリスクがゼロの技術だとは毛頭も思っていない。実は原子力の問題点は経済性でも安全性でもなく、倫理性にある。化石燃料を燃やすことによる大気汚染や地球温暖化といった外部性は、概ね世界中の人々が共有しなければいけないが、原発はシビアアクシデントが起こったときのリスクを地元住民がほぼ全て引き受けるのだ。

多くの人が勘違いしているのだが、外部被曝のほとんど全ては、地表に落ちている放射性セシウムから発せられる放射線によるもので、放射性物質が空気中を長時間漂っているわけではない。これが大気汚染とは大きく違うところだ。つまり放射能汚染は実際には非常に局地的なのだ。また、避難にともなうパニックを考えると、原発を東京に作ることは甚だ現実的ではない。万が一のシビアアクシデントを考えると、一部の土地が長期にわたり使用できなくなるため、重要な機能が集中している東京に原発を作ることはまったくもって合理的ではないのだ。

もちろん、このようなリスクが局所的な施設を作ってもらうには、それ相応の金を払う必要があり、原発は過疎化が進む地方自治体と、安価な電気が大量に必要な都市住民とのふつうの商取引なのである。核燃料税などで、都市住民の所得を、原発立地自治体に移転し、安く電気を作らせて貰っているだけであり、それが民主的なプロセスであるかぎり問題ないのである。

筆者の専門は投資だが、投資で儲けるコツは市場で本来のリスクより過大に評価されているリスクを見つけ出し、そこに賭けることだ。現在、原発立地のリスクは、様々な反原発運動家のおかげで天文学的な倍率で過大評価されている。つまり原発立地自治体にとっては、非常に小さいリスクを取っているだけにも関わらず、大きな経済的恩恵を受けることが可能なのだ。もし筆者が過疎化が進む地方自治体の長であったならば、今こそ原発誘致の最高のタイミングだと考えるだろう。