日本の発展と競争力を支えてきたのはその高い教育水準にあり、それは日本の国力の最後のよりどころでもある。しかしその他国に対する優位性も、そう遠くない将来に崩れるのかもしれない。
カーンアカデミーは2006年に設立された。設立者サルマン・カーンが、従兄弟に数学を教えるためにYoutubeに投稿したビデオが、思わぬ反響を呼び起こしたことが設立のきっかけである。
ネットを通し、高水準の教育を、無償で誰にでも、どこででも受けられるようにするというサルマンの理念は、多くの賛同者を集めた。当初は広告にも頼っていた運営費は、今では寄付金だけでまかなわれている。現在、ビルゲイツ財団やGoogleがカーンアカデミーに財政支援をしている。
日本にはその熱気がなかなか伝わらないが、Googleトレンドで検索数を見れば、一昨年来、急激にネットユーザの関心を集めるようになったことがわかる。
基本となるソフトウェア技術を二つの意味でフリー、すなわち無償かつ自由に配布するというGNUのポリシーは、今日のインターネットの興隆をもたらした中心思想である。その思想が、ソフトウェアにおいてより、さらに重要な役割を果たすのが教育の分野であろう。カーンアカデミーはそれを実現した。
アカデミーにはすでに3000本以上の教育ビデオが登録されており、日々その数は増えている。初等教育から大学レベルの講義まで、数学、物理、生化学から美術史、経済学、ファイナンスまで、内容は多岐に渡っている。
ネットにつながり、英語さえ読み聴きできれば、世界最高水準の教育がどこの国民にも等しく享受できる時代がやってきたのである。
日本の高い教育水準は、教育に対する高いモチベーションと整った教育インフラによって支えられてきた。モチベーションに関しては、すでに近隣諸国より高い水準が維持されているとはいえない状況であろう。
カーンアカデミーの登場により、教育インフラに関しても、絶対的水準はともかく、その相対的優位性が失われていくことは確実である。
発展途上のどの国においても、国民の教育水準を引き上げるのは国家的課題である。しかし、途上国において産業インフラを整えるのが難しいのと同様、教育インフラを整えるのは困難な事業である。しかし、ネットワークインフラであれば、今日では比較的容易に構築可能である。それは容易に教育インフラをも構築できるようになったことを意味する。
教育機会に関して、日本が世界最貧国と同じスタートラインに立たされる日はそう遠くない。いや、英語に関してハンディを負う日本国民は、スタートラインのより後方に立たされているのかもしれない。
日本がせめて比較劣位に立たないようにするためには、教材の日本語化などという応急策に頼るのではなく、一にも二にも、最低限英語の読み聴きする力を、教育の最初期に身につけさせるしかないであろう。
もう一度、先に揚げたグーグルトレンドのurlを見て欲しい。国別の検索数では、米加を除けば、上位を占めているのはアジア、アフリカ諸国である。その意味は、あらためて指摘するまでもないだろう。
酒井 秀晴
プログラマー(フリーランス)
twitter