「AIJ投資顧問」事件の話を聞く度に、401k(編集部注:日本版401k)のことを連想してしまう。
401kとは大雑把にいえば、前払いされた退職金を運用会社に委託し、運用によって退職金の増殖を狙おうという制度である。目論見通りであればサラリーマンの老後資金の救世主となるはずであったが、草の根の声からは次のように違う実態も伝わってくる。
ある大会社の定年退職サラリーマン。一部は現金で一部は401kで退職金をもらったが、401k部分は委託金額の半分になっていた。60才以前の退職なので60才に達しないと現金化できない。その間に更に減り、1/3程度になってしまうのではないかと心配だ。
中小企業のサラリーマン。中途退職したが、退職金の一部が401kになっていた。再就職先には、401kがなかった。それで解約しようとしたが、途中解約は出来ないと言われた。やむを得ず個人のポータブル型で継続されたが、元本は増えないし、年間数千円の手数料は運用会社に取られるしで、今は放置してある。最後はどうなるかわからない。
中小企業の現役サラリーマン。自分の退職金の一部が、401kの運用の財源になっているなんて知らなかった。会社のオマケだと思っていた。退職金が満額払われないなんて信じられない。
知らぬうちに拠出させられていたり、退職金が減額となったり、無くなったり、サラリーマンのなかには踏んだり蹴ったりの人も多いと思う。しかし、怨嗟の声は今のところ小声でしか聞こえてこない。
それは制度が「自己責任」のもとで運用されているという建前になっているからだ。昨今流行の「選択と責任」という訳だ。「あなたの意思で賭けたのだから、擦ったのはあなたの所為よ、さっさとショバ代を払いなさい」というのが制度の立場だ。
自己責任の根拠は、運用をローリスク商品からハイリスク商品まで揃えて、その中から加入者が自由に選べるからというところにある。しかしこれは自己責任の根拠としては弱いように思う。見切る自由がないからだ。
株の世界には「見切り千両」といい、損切りをする勇気を讃える言葉がある。
しかし401kには逃げる自由がない。60才に達するまでは、「檻の中」という訳だ。逃げる自由がないのに「自己責任」は問えないのではないか。逃げられないから損を取り返そうとして、更にハイリスクハイリターンを狙い、損に損が重なる、この同じような構図が私にAIJから401kを連想させた。
401kの理論的な支柱は、日本の株価は長期スパンでは戦後ずっと右肩上がりだったということにあるのだろう。しかし、この方程式は現在は成り立たない。
人口が減少し成熟化が進む社会で、地震や原発事故のコストで産業は停滞しがちだ。国債への投資資金の確保を最優先しなければならないキャッシュフローの状況でもある。株式市場が長期的に活性化するという将来展望は持ち難い。
日本のサラリーマンの老後資金を、逃げられないカジノから解放する道を作っておくことは、401kが社会問題化せず、正常に発展するために最低必要なことだ。
税制の問題など整備して、途中解約が可能なように制度の見直しを急ぐべきである。
中村 十念
(株)日本医療総合研究所 取締役社長
編集部より:この記事は「先見創意の会」2012年3月13日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。