放射線防護の専門知を活かし、福島の生活再建に「連帯」を ― 第2回伊達市ICRPダイアログセミナーの経緯と結論・勧告の方向性

アゴラ編集部


福島での原発事故をめぐり、パニックは沈静化に向かう一方で、冷静に問題に対処しようという動きが日本社会に広がっています。国際放射線防護委員会(ICRP)は原発事故の後に日本への知的な面からの支援活動を行っています。2012年2月には福島県伊達市で第2回ICRPダイアログセミナーが行われました。各国の研究者による研究成果の提供と、福島の住民、地方自治体当局者の意見交換です。残念ながら日本のメディアはこのICRPの取り組みをあまり伝えていません。

京都女子大学の水野義之教授にこのセミナーをテーマに「放射線防護の専門知を活かし、福島の生活再建に「連帯」を ― 第2回伊達市ICRPダイアログセミナーの経緯と結論・勧告の方向性」を寄稿いただきました。


水野教授はこのセミナーに参加しています。またこの寄稿ではウクライナのチェルノブイリ近郊で行われた、エートスプロジェクトについて紹介しています。さらに水野教授は放射能防護の正しい知識を、福島などで講演によって提供しています。水野教授、そして福島の復興のために努力を続ける関係者の皆さまにGEPRは深い敬意を持ちます。

放射能への恐怖を単に騒ぐだけでは問題は解決しません。震災から1年もの時間が経過しています。原発事故による影響を科学的な知識に基づき冷静に受け止めた上で、福島と東日本の復興のための具体的な活動を私たち一人ひとりが考え、そして行動するべき時です。「大部分の人々が真に求めていることは自身の生活の営みを続けること」(ICRP勧告111)。福島の同胞が故郷福島で生活を再建すること、東日本の市民が現在の生活を安全な形で続ける方策を考えることが、復興対策の基本となるでしょう。(GEPR編集部)

放射線防護の専門知を活かし、福島の生活再建に「連帯」を ― 第2回伊達市ICRPダイアログセミナーの経緯と結論・勧告の方向性
GEPRリンク

水野 義之
京都女子大学現代社会学部(物理学・情報学)

はじめに

東日本大震災と原発事故災害に伴う放射能汚染の問題は、真に国際的な問題の一つである。各国政府や国際機関に放射線をめぐる規制措置を勧告する民間団体である国際放射線防護委員会(ICRP)は、今回の原発事故の推移に重大な関心を持って見守り、時機を見て必要な勧告を行ってきた。本稿ではこの間の経緯を振り返りつつ、特に2012年2月25-26日に福島県伊達市で行われた第2回ICRPダイアログセミナーの概要と結論・勧告の方向性について紹介したい。

ICRPと原発事故災害の関わり

ICRPと今回の原発事故災害では、2012年3月までの1年間に大きな関わりが3回あったように思われる。第1に2011年3月21日にICRPから日本向けに特別勧告が出され、特にICRPの「緊急時被曝状況」(事故時の被曝状況)と「現存被曝状況」(事故後も残る被曝状況)に対処するための新勧告(2007~2009年)の重要性が強調されたことだ。

第2にこの特別勧告に登場したICRP出版物の一つICRP-Publ.111『原子力事故又は放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用』(2009年、以下ICRP-111と記す)の英語版と日本語版を、11年4月上旬から無償公開し、原発事故の参考に供したことだ(この実現には日本側の働きかけもあった)。(GEPR編集部注。12年3月で日本語版無償公開は終了。英語版 (ICRP)は無償公開継続。 日本語版(社団法人日本アイソトープ協会)は販売されている)

第3にICRP-111に登場する「地域評議会」の一形態とも考えられる「ダイアログセミナー」を実際に日本で開催し、地域ごとに対応が異なる被災地の関係者・当事者間の協議の場の提供を通して、情報共有と課題解決の手法を実践し始めたことである。

チェルノブイリのETHOS(エートス)からICRP新勧告へ

現在の日本の放射線関連法規は、基本的にICRP-60(1990年勧告)を基礎としている(2001年より施行)。ところがこの1990年勧告には、1986年のチェルノブイリ原発事故に伴う国際的経験は取り入れられていない。なぜなら1990年当時は事故自体の認識も情報も不十分だったからである。

その後1991年12月末に旧ソ連が崩壊し、チェルノブイリ事故で汚染のあったウクライナ、ベラルーシ、ロシアの各共和国で再移住政策がとられた。これが現在知られるセシウム土壌汚染度による4区分である。この結果、地域住民は国家行政に再度振り回さることとなり、政治行政不信・専門家不信を深めたとされる。

この状況に置かれた地域住民の生活回復のため、EC(欧州委員会)が1996~1998年に取り組んだ活動をETHOS(エートス)プロジェクトと呼ぶ。ここでは除染、農業の復活、放射線防護の取り組みが、住民が自主的に参加する形で行われた。(エートスプロジェクト報告書の翻訳、ならびに日本での実施を試みる民間有志のサイト

このETHOSプロジェクトはチェルノブイリ周辺で実施された幾多の支援活動の中で唯一の成功例とされる。事故の10年後のことであった。この活動の中心メンバーの一人がフランスのJ.ロシャール(Jacques Lochard)で、彼は後に2007年のICRP新勧告(チェルノブイリ経験を織り込んだ初めての主勧告ICRP-103)の実際の適用(例えば汚染の残る地域での放射線防護と生活回復)に関する勧告文書の作成責任者となった。

これが上記2009年刊行のICRP-111である。ICRP-111の文面は硬質で、抽象化された一般化理論の体裁をとっている。しかし中身は極めて人間的なものである。今の日本人なら一読してその意味が分かるに違いない。

ICRPの第2回ダイアログセミナーの報告

こうしてICRP-111に文書化された実際の地域支援活動が始まった。第1回はICRPダイアログセミナーという形で2011年11月に福島市で開催された。11月28日にロシャールは内閣府でも「原子力災害後の生活環境の回復―チェルノブイリから学ぶこと」という説明を行っている。その第2回ダイアログセミナーが今回、2012年2月に福島県伊達市で開かれた。これに筆者も参加した。

除染に関する法律は2011年8月末に制定され、2012年1月から施行となっている。しかし実際の除染努力はそれ以前から進んでおり、各自治体と原子力・放射線分野の専門家による先進的努力の蓄積があった。今回の会場となった福島県伊達市は、原子力委員会委員長代理、田中俊一(遮蔽の専門家)が助言者となり、市長の理解を得て取り組みが進んでいた。実際伊達市は飯舘村の山向こうにあり、年間20mSvを超える家屋(特定避難勧奨地点)も点在し、対応に苦慮していた。

セミナー参加者

セミナー1日目の冒頭は、参加者(61名)と傍聴者(約40名)を含め全員が自己紹介を行い、主体的な参加を促すことから始まった。発表者は伊達市長、市内の町内会長、小学校長、果樹農家、米作農家、JA伊達、コープ福島、コープ東京の各関係者らである。また2日目の発表者は海外からベラルーシ2名、ノルウェー2名、OECDのNEA(経済協力開発機構・原子力機関)とフランスの放射線防護評価研究センターCEPNから2名などである。

日本からは「福島のエートス」の安東(福島県いわき市)、AFTC(福島県田村市のNPO)の半谷、東京大学の中川、国連大学の安井といった代表に加えて、福島県医師会、福島民報・福島民友の地元紙、NHK科学文化部、福島県の除染対策課、伊達市長、放射線安全フォーラムの田中といった関係者であった。セミナーではそれぞれの経験と独自の視点を発表し、活発な意見交換が行われた。

セミナー1日目

伊達市長は工学部出身であり、問題を定量的に理解しつつ話の展開が戦略的で決断が速いのが印象的である。様々な不信、不安、被害や分かりにくさの問題に的確かつ現実的に対応していて脱帽である。

また小学校での保護者連携の対応状況にも頭が下がる。ガラスバッジ積算線量でモニターしつつ、具体的課題を明確にする。難しい学校運営の中で、保護者と子ども達への責任意識が具体的である。

伊達市は果物の産地で有名だったが「先人が作った豊饒な大地を失った」、しかし「限りなくND(不検出)の果物生産を目指して」、果樹園の全面積での高圧洗浄と、樹皮が凍る状況下での粗皮削りを継続して実施している。総面積2,205ha、対策担当の総延人数33,327名(2011年12月中旬から2012年3月末迄)など圧倒的な、凄まじいまでの努力が続く。これは「生産者と消費者を結ぶ」と題する伊達JAの発表である。

コープ福島の学習・研究・応援の姿勢にも、コープ東京の揺れる思いの中での努力にも共感を覚える。

また伊達市の小国(おぐに)地区は空間線量率が特に高かったため、住民自ら立ち上がり、発起人38名、211名の賛同を得て2011年9月16日NPO設立総会、住民自ら100メートル・メッシュの詳細な空間線量率測定を実施するなど、放射線問題と積極的に戦おうとしている。

セミナー2日目

セミナーの2日目前半は、海外の取り組み紹介である。ベラルーシからは地域のリスクコミュニケーションの紹介である。地域情報センターは50カ所、だが作られたのは2007年だった。なぜ遅いのか。しかし必要であるからと、新たな主体的取り組みが続く。この発表者はETHOSプロジェクト経験者であり、それが全国展開の段階に来ているのである。

ノルウェー北部の少数民族サーミ人の伝統的食生活と被曝対策の報告は、500人ほどの統計分析であり初めて拝見したが、対策の成功を示す結果である。

2日目後半は現地支援活動やNPOの紹介である。それぞれが独自の展開を報告する中、どの活動も手探りと試行錯誤を経て地域特有の問題を発見し、当事者と専門家の対話と恊働の中で最適解の模索が続く。ICRP-111でいうところのco-expertise(恊働知、共有知、知識共有)の実践とも位置付けられる。バラバラな情報の共有ではなく、ある種のまとまった経験的知識が共有され、実践される。

どの発表にも私が圧倒されたのは、当事者が自ら考え、課題を解決しようとする強い意志と智恵の力によるだろう。放射能・放射線のように見えない敵との戦いは容易ではないが、マクロな国家支援政策や補償問題の進展と並行して、ミクロな地域それぞれの具体的な実践の往還ループがあって初めて問題解決は実際に進展するものと思われた。

結論と勧告

この会議の最後には、欧州風に今回の第2回ICRPダイアログセミナーとしての結論と勧告(文案)が読み上げられ、最終的に全員の名前で署名し発表に至った(2012年3月8日付公開)。

この内容は例えば、「e.情報と経験の共有を促し手助けする対話の場の発展を支援することで、放射線防護の文化と実践をコミュニティー内に構築するべきである。この構築は、NPO の援助とともに、専門家の意見と住民の判断に基づくべきである。」「f.関係当局と専門家は、実践的な情報を供与し、線量測定や解釈の援助を広げ、線量低減と被曝を達成可能なかぎり低く維持するための活動について助言を行うべきである。」「i.回復活動における意思決定は、地域の特性の理解を基盤とし、現段階および将来の利益を支援するという点において、地域社会の優先が反映されるべきというコミュニティーの期待を尊重すべきである」などとなっている。

津波被害でも同様であるが、大災害の影響は地域によって全く異なる。その違いを最初から重視することの重要性の認識が、今回の最大の教訓の一つといえるかもしれない。

おわりに

ICRP-111の冒頭には次の文面がある。「結局、大部分の人々が真に求めていることは自身の生活の営みを続けることであり、人々は(時には多少の助言を与えられることによって)それを実現しようとし、また実現できるのではないだろうか。」

この文書の目的は、実際に様々な情報を調べ、知識を理解し、熟考の上で住み続けたい人のための具体的方策の提言である。逆に生活ニーズの多様性に応じて、今後も改善の余地があるだろう。だがこの考え方は普遍性を持つ。

およそ専門知と生活ニーズの具体的な距離がこれほど近づいた時代は、かつてなかったのではないか。それはこの経験が国際的にも、地域の恊働知においても、「連帯」(solidarity)の必要性を示唆しているからである。実際のところ放射線防護の究極の基盤は、人々の生活を守ることに他ならない。この我が国の歴史的試練が世界の学問にとっても、また地域の生活においても、共に学ぶことを通して新たな時代の創生に繋がることを期待したい。

(GEPR編集部より・参考サイト)

1)民間有志によって、ETHOS IN FUKUSHIMAという取り組みが行われている。サイト

2)ジャック・ロシャール(仏・科学者)「チェルノブイリ事故によって汚染された地域における 利害関係者の関与による生活環境の回復:ベラルーシのエートス計画

3)ジャック・ロシャール「実用的放射線防護文化の発展のための基本的原理:ETHOS プ ロジェクトの教訓」、国際セミナー「チェルノブイリ事故によって汚染された地域における生活環境の回復:ETHOS アプローチの貢献」2001年11月15、16 日、発表スライド(和訳)