反原発を訴えるだけが客観報道ではない --- 坂田 航

アゴラ編集部

福島第一原発の大災害が発生して以来、池田信夫氏のように放射能の「非危険性」を訴える専門家はいても、原発賛成に大手を振る専門家・大手メディアは姿を消しました。危険性を内在させながら運転する原発がどれだけ危険か、日本国民・大手メディアが強く自覚したからでしょう。その中には当然、いくら東電がスポンサーとはいえ、人命を危険に晒す東電をいつまでも擁護しきれなくなったところもあります。

メディアの大原則のうちの一つに「客観報道」という考え方があります。ここでいうメディアとはTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアではなく、新聞・テレビ局・ラジオ局などのマスコミと呼ばれるメディアのことです。


「客観報道」とは、物事を一面的にしか報道せず、それに接した者を一方の考えに扇動していくような伝え方をしないようにしようという考え方です。扇動とまではいかなくても、日本の多くのマスメディアはこれに近い形をとって来ました。原発の危険性を強く指摘出来なかった震災以前の原発報道がその好例です。

震災後、徐々に原発事故の被害の実態が報道され、世論は原発建設中止あるいは廃炉を目指すものへと変化しました。そして、メディアもそれを大きく取り上げ、専門家や評論家の意見はより大きく掲載するようになりました。

「原発は廃止すべき。」これは日本国民の大半が思っていることです。しかしそうはいっても、中には少数ながらも反対意見もあるわけです。ではそういった意見を全く載せなくなったマスメディアは客観報道をしていると言えるのでしょうか?「世論の大半」を報道するだけが報道機関の役割なのでしょうか?

誤解を防ぐためにここで述べておくと、私も多くの日本国民と同様に原発反対派です。私は原発の利点をマスメディアに報道してもらいたくて、原発賛成派の意見も報道しろと言っているのではありません。賛成・反対両派の意見を見ることで、より深い議論が期待できると私は言いたいのです。

原発事故以前、原発の負の面を大きく取り上げるマスメディアは限られていました。危険性を報道していなかったのです。これは客観報道ではありません。しかし、事故が起きてからは負の面を取り上げるばかりで、正の面を取り上げるメディアは知る限りでは皆無です。

例えば、震災後に刊行された完全保存版:原発はいらない」(2011年8月5日号)では、タイトルで反原発を大々的に訴えながらも、中を除くと賛成・反対の両派の専門家による意見が大きく掲載されていて、見比べることができます。それぞれの意見に一ページずつページが割かれているのです。

こういった両派の意見を取り上げることはNewsweekだけでなく、海外の報道機関ではごく一般的に見られます。日本のメディアは全くやっていないというわけでは決してありませんが、世論に迎合して検証を怠りがちな面が見られます。

結論というものは、物事を一面的に見るのではなく、様々な視点を考慮して初めて出すべきものであり、そういった丁寧なプロセスを経て初めて、熟成された実態解明ができるのです。反対派一色の報道をするのではなく、賛成意見の中からも新たな課題を見出し、より良い形で世論が醸成されていくように、報道機関は本当の意味での「客観報道」をしていくべきでしょう。

坂田 航
大学生ブロガー
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