爆弾低気圧が襲来したあの日、私が利用している路線にも混乱が生じた。若干の遅延と間引き運転。豪雨と強風の中、その程度で済んでいるほうが私には奇跡に思えたが、そう思わない人たちもいたようだ。彼らは駅員に詰め寄って吊るし上げ、謝罪させていた。どう見ても無意味な行動だった。
戦後登場したあまたの流行語の中でも最悪だったのが、「お客様は神様です」だったと思う。もともとこの言葉は、三波春夫が「雑念を払い、心をまっさらにして芸を見せる」ために観客を絶対者=神と見立てて発した言葉だったと聞く。しかしいつのまにか勝手に解釈され、変質した。
「お客様は神様です」について(三波春夫オフィシャルサイト)
三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズです。三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。
俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。元の意味とかけ離れた使われ方ですから私が言う段ではありませんけれど、大体クレーマーたるや、「お客様」と「様」を付けて呼んで貰えるような人たちではないと思います。サービスする側を 見下すような人たちには、様は付かないでしょう。
売買の本質が「通貨を媒介した物々交換」であるならば、本来、売り手と買い手は同格なはずだ。にもかかわらず「商品やサービスを買う側」が不遜にも自らを神と勘違いし「お客様は神様だろ?」とドヤ顔をするのは単なる思い上がり、ただの勘違い野郎に過ぎない。たった数百円、数千円……いや、もっと高額な買い物をしたとしても、それは「消費者」や「顧客」、あるいは「カネ払いのいい人」や「カモ」であって、神ではない。買い物をしただけで誰もが神になれるのだとしたら、神の安売りも極まれりではないか。
一方で「商品やサービスを売る側」の異常なまでの低姿勢も問題だ。なにかといえば「申し訳ありません」と「お詫び申し上げます」を連発し、すべての責任を自分たちが負おうとする。あるいは、口先だけでその場を取り繕うとする。もちろん謝罪すべき点はきちんと謝罪すべきだが、買い手側に問題がある場合でもただひたすら「申し訳ありません」「お詫び申し上げます」を繰り返す姿勢は卑屈でしかない。頭を下げ続ける「土下座商売」は、相手におかしな勘違いをさせるだけだ。
消費者は神様なんかじゃない。まずその当たり前のことを、「買う側」そして「売る側」も知るべきだ。誰もがあるときは「買う側」、あるときは「売る側」となる社会において一方の立場を実体以上に高めると、回りまわって自分の首を絞めることになる。
駒沢 丈治
雑誌記者(フリーランス)
Twitter@george_komazawa