事実誤認の産経新聞「西成特区の生活保護改革」記事 --- 鈴木 亘

アゴラ編集部

4月8日の産経新聞大阪版で、「「西成特区」で仰天改革案 生活保護受給者「就労所得貯蓄」で自立支援」と題する記事が出た。

この記事が出たことにより、一部の関係者に衝撃を与えているようであるが、事実誤認をしている記事なので、ここできちんと誤解を正しておきたい。


まず第一に、西成特区構想として、記事が言うような「生活保護受給者が働いて得た収入を行政側で積み立て、生活保護から抜ける自立時に一括返還して初期生活費に充ててもらう制度を導入するという改革案を、特区構想担当の市特別顧問、鈴木亘・学習院大教授(社会保障論)がまとめた」という事実は「ない」。

第二に、もちろん、西成特区として、生活保護受給者に対して「3年程度は最低賃金(大阪府は時給786円)の適用除外として同400円程度とし、その後は最低賃金にする」という提案をまとめた事実も「ない」。

第三に、記事に書かれている内容の多くは、「あくまで個人的な意見」であるときちんと前置きした上で語った内容であり、記事の言うように西成特区構想として進んでいる話では「ない」。

こういった事実を誤認した記事が、事前に私への何の確認もなく、産経新聞という大新聞に掲載されるという現実に、私はやや驚くとともに、残念に思っている。私を取材した記者自体は印象の良い優秀な方であり、写真もとってインタビュー記事にするつもりのようだったが、どこか上の方で方針が変わってしまったのだろうか。スクープ狙いの事実誤認記事となってしまった。

記事には丁寧で誠意が感じられる点もあるので、ミスコミニュケーションもあったのだろう。その点では、私も反省しているが、事前にチェックをさせてもらえれば、こういう記事にはならなかっただろう。

さっそく橋下市長からは、維新の会、市長関係の記事は壮絶なスクープ合戦になっているので、そこに仁義は無いのですと慰められたが、「仁義なき記事」を書けば、その新聞社の取材を受けなくなるだけのことであるから、新聞社にとってもこれは合理的な行動とは言えないのではないか。

もちろん、区民、市民が期待する特区構想であるから、私自身は産経新聞だけを区別して取材を受けないようなことはするつもりはないが、私を取材するのであれば、今後は、きちんとルールは守っていただきたいと思う。

さて、記事に出たように、確かに、私がもう数年も前からの持論として、1:現在、働くとほぼその分だけ減らされてしまう生活保護受給者の就労収入をある程度認めた上で、2:ワーキングプアとの間で不公平にならないように、凍結口座として直ちには使えないようにし、

生活保護から自立したら、それを返却することによって、自立へのインセンティブを促すとともに、自立生活の初期資金(生活保護から脱した直後は、さまざまな固定費がドッとかかって脱却のハードルが非常に高いので、それを乗り越える初期資金が必要)として活用できるようにする制度を提案していることは事実である。

また、現在の生活保護受給者(もちろん、稼働層だけの話)にとって、民主党政権になって時給で100円も上がってしまった現在の最低賃金は高すぎ、なかなか彼らの望むような職種の求人は出ないし、出るのはキツイ、ツライ仕事が多いので、就労意欲がある若い稼働層も、しだいに就労をあきらめ、引きこもりがちになってしまう。

したがって、期間限定で「稼働層の生活保護受給者に限って」、時給を引き下げ(最低賃金の適用除外、現在は減額制度と言う)、企業に一種の人件費補助金を出すことにより、多種多様な業種、職種の求人を呼び込んで、生活保護受給者の就労のマッチングを支援してはどうか(当然、最低賃金以上で求人がある人の賃金を引き下げる必要はない。あくまでその必要がある人だけである)。

生活保護受給者は、最低賃金が下がっても生活保護費でそれ以上の生活費部分は支給されるので、生活には支障がない、また、人件費補助をされる企業は、3年ぐらいの期間をかけて、雇用する生活保護受給者に対するOJTの職業訓練義務を課し、だんだんと一人前にして、通常の賃金まで引き上げ、その後も本人が望めば通常の賃金で一定期間雇い続ける義務を課すという案を提案している。このやり方では、稼働能力層は働くので、働かない場合に比べれば生活保護費(公費)が大幅に削減できる。また、企業への補助金を別途考えればまた公費が出てゆくが、このやり方では追加公費は必要ない。

この話は、最近増えている若い「稼働能力層の自立支援策」として、2月に行われた行政刷新会議の政策仕分でも厚労省に提案しているし、先日の自民党の生活保護プロジェクトチームの講演でも話を行った。これらの動きを受けて、下記の記事のように、厚労省でも検討が始まったようである。

自民党生活保護プロジェクトのレジュメ

<生活保護費>「積立制度」創設を検討 厚労省

ただ、これは、西成区の特区構想で直ちに提案するという話ではない。産経新聞の記者が、自民党のプロジェクトチームのレジュメを持っていて説明を求められたので、その説明をしたつもりであった。

実際、西成区、特にあいりん地区は日雇い労働者やホームレスから畳の上に上がった単身高齢者が多いので、この稼働能力層向けの自立支援策がそのまま機能するとは思えない。また、リーマンショック以降は、西成でも現役の稼働層も増えてきたが、メンタルの問題や傷病を抱える者も多いので、いきなり就労支援というわけにはいかず、釧路方式でボランティアなどから始めるような自立支援プログラムが必要になるだろう。

そのうえで、一部の限定された稼働能力層を対象に、このような就労支援プログラムを適用するのであれば検討に値する。ただ、モラルハザードが働かないように、まだまだ細かい制度設計を詰めてゆく必要がある。また、アメとムチのムチの部分と一体的な運用をする必要もあろう。これは、今後、橋下市長や西成区長を中心に、時間をかけて議論してゆき、法律上も特区申請をした上でやることになるだろうから、やるとしてもだいぶ先の話である。

もう一つ、記事の誤解は、私が上からの押し付けで改革案を出すような書きぶりになっているところである。もちろん、私自身もたくさんアイディアは持っているが(エリート校誘致などは、そのアイディアの単なる一例として、あげただけに過ぎない)、この地域に集まる研究者や、地元の各団体にはそれこそ画期的なアイディアがごろごろ転がっている。地域の内外から、こうした素晴らしいアイディアをくみ取って整理して、市長、区長に上げてゆくことが、むしろ私の役割だと思っている。

実は、私はこのあいりん地区には長い。阪大の学生時代から足掛け15年ほど通っていて、阪大の助手、助教授と研究者になっても、西成区の生活保護受給者の聞き取り調査や、医療調査などのフィールド調査を行ってきた。また、釜ヶ崎まちの再生フォーラムのメンバーとして、街づくり活動に協力してきた。

この街には、変えてゆくべきものもあるが、変えてはいけないもの、守るべきものもたくさんある。大胆にこの街の将来像を提示して、大きく改革することはもちろん重要であるが、市長や顧問団に、街の実情、現実もきちんとわかりやすく伝えて、間違った改革の方向性にしないことも、同時に私の役割だと思っている。いずれにせよ、私は街の内外の声をよく聞き、市長と区長を補佐する役割であって、独断的に何かを押し付ける立場ではないことをご理解いただきたい。


編集部より:この記事は「学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)」2012年4月10日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった鈴木氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)をご覧ください。