今日(4月16日)Twitterをみていたら、泉田裕彦さん(現・新潟県知事だが、彼が経産省の官僚だった時代に知っているので、一方的に親しく思っていてフォローしている)が、次のようにつぶやいていた。
ちなみに、財源は「円高」と「デフレ」の中にあります。国債の日銀引き受け等でマネーを増やし、内需拡大し、円安誘導すればよいのです。企業売上げや給与が増え土地や株の価格が上昇します。中期的は、円安効果で工場の日本回帰が進み働く場が増加します。歴史的には高橋是清蔵相が成功させています。
改めて、こんな風に考えている政治家とか一般の人達って少なくないんだろうな、と思った。しかし、残念ながら、基本的に間違った認識だといわざるを得ない。
マネーという言葉は曖昧なので、ここでも厳密にはどのような意味で使われているのか分からないが、マネーであることは疑いない日本銀行券(現金)について考えてみる。日本銀行券の発行残高と名目GDPの組み合わせ(1980-2011年の間)を散布図にしたものが、次のグラフである(類似のグラフは、岩本康志氏のブログ記事でも掲げられている)。
ゼロ金利状況になる前の1990年代前半までは、日銀券の発行残高と名目GDPの間にはきわめて安定した関係があり、1980-1995年の間に関しては、
という回帰式が、きわめて高い決定係数(0.986)で得られる。金利のつかない現金に対する需要は、もっぱら取引動機によるものであり、経済活動(取引)の規模に伴って増大すると考えられるので、この結果は至極当然のものである。
ところが、1990年代の後半以降は、名目GDPがほとんど変化しない中で、日銀券の発行残高だけが増加の一途を辿っている。現時点での日銀券発行残高はすでに80兆円に達している。これは、ゼロ金利状況になって、現金保有の機会費用が無視できるようになったために、取引活動とは無関係に「タンス預金」的な現金需要の増大が生じた結果だと考えられる。この結果、かつての日銀券の発行残高と名目GDPの間の関係からすると、名目GDPが足下の2倍以上の1,040兆円になっても十分に回っていけるだけの日銀券はすでに供給されているのである。
したがって、世の中に出回っているマネーの量が不足しているという指摘はあたらない。現在の日本は、いわゆる「流動性の罠」的な状況下にあり、十分にマネーは供給されているのだが、人々がそれを留保した(タンス預金にされた)ままで使おうとしないというのが実際である。そして、なぜマネーを使おうとしないのかと問えば、多くの人が真っ先に「将来が不安だから」と応えている。
この意味で、財政と社会保障制度の持続可能な姿を示し、そうした将来不安を和らげるのは、政治家の(泉田氏は地方自治体の首長なので少し違うが、国会議員に関していえば)第一義的な任務だといえる。こうした中長期的課題を解決することなしに、短期的な景気回復も達成できないというのが現実の構造になっている。そうした任務を果たさずに、マネー自体が不足しているかのようにいうのは、率直に言って、責任放棄の言い訳をしているとしか思われない。
なお、高橋是清蔵相云々に関しては、「戦前期の日銀国債引き受けの実態」を参照されたい。
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池尾 和人@kazikeo