本当の「巨悪」はどこにあるか

池田 信夫

小沢一郎氏の無罪判決は予想通りだし、それが政局に与える影響にも興味がないが、不思議なのは、公的に何の地位にもない政治家の処遇がこれほど大ニュースになる日本という国の特異性である。


フランシス・フクヤマによれば、国家の建設は人類の歴史の中では特異な出来事だった。人類の圧倒的多数は小規模な同族集団で行動し、それに適した感情が遺伝的・文化的に組み込まれているので、よほど強い圧力がないと人々は昔からなじんだ部族社会を捨てて君主に服従しない。古代中国や中世ヨーロッパでは4~500年もの間、絶え間なく戦争が続いたため、部族社会を解体・統合して平和を実現する中央集権国家が出現した。

しかし日本人はそういう激しい長期にわたる戦争を経験したことがないため、暴力で支配する国家の必要がなく、人々は気楽で快適な部族社会に暮らし続け、それがゆるやかに連合して「大きな社会」ができた。このような平和ボケは、梅棹忠夫も丸山眞男も山本七平も指摘した日本人の顕著な特徴である。

形の上では法治国家になった近代以降も、日本は法律や権力より人的な長期関係の強い「大きな部族社会」のままで、実質的な権力の中心は山県有朋のような非公式の(法律にも書かれていない)元老にあった。彼の権力の源泉は法律でも武力でもなく、有力者にはりめぐらされた人脈(長期的関係)であり、それを利用した合意形成の調整力だった。

小沢氏は、そういう非公式の権力をもつ最後の政治家だろう。法治国家の守護神を自認する検察にとっては、こうした「元老」的な政治家は許せないので、それを排除するために総力を挙げてきた。小沢的手法が不透明な利益誘導による古いタイプの政治だという批判はその通りだが、本当の「巨悪」はそれを必要とする古い政治システムである。

日本の法律は大陸法を輸入してさらに複雑化し、スパゲティ状に相互依存して、関係省庁が全員一致しないと改正できないため、一つの官庁でも反対すれば容易に止めることができる。民主党政権の歳出削減が失敗した原因は特定の「抵抗勢力」ではなく、「それは**省の合意が得られません」という官僚のサボタージュである。日本の国会は立法機能を失っているため、政治家が実質的な決定権をもっていないのだ。

この「コンセンサスの壁」を突破するには、非公式の合意を形成して官僚に法律を変えるインセンティブを与えるしかなく、それぐらいの力をもつ「元老」は10年に1人ぐらいしか出ない。田中のつくった高度成長レジームを変えることは、小沢氏ぐらいの腕力がないと無理だろう。彼の政治的主張は変遷しているが、過剰なコンセンサスを断ち切ることが政治の再生に必要だという点は一貫している。

小沢氏を排除して政治を「近代化」しようという検察との闘いは、とりあえず小沢氏の勝利に終わったが、彼にも往年のような力はない。非公式の力で官僚をコントロールする「元老」がいなくなると、霞ヶ関の巨悪は眠り続けるだろう。