陳光誠氏の出国事件で考えた別のこと

津上 俊哉
陳光誠氏の出国事件で考えた別のこと
不合理な地方財政制度が生む問題

この連休中、陳光誠氏の事件が米中両国政府間の大懸案となって、世界中のメディアを賑わわせている。今日4日現在、彼と家族が無事に中国を出国できるか? が注目の的になっているが、本稿ではこの 「本題」 から離れて、彼が山東省の自宅から単身脱出に成功した後、youtube に投稿した温家宝総理宛のビデオレターで訴えた、ある問題について書きたい。


このビデオレターは、北京在住のフリーランスライター、ふるまいよしこさんが Newsweek 日本語版ウェブ上のコラム 「中国 風見鶏便り」 (「盲目の活動家、陳光誠氏の訴え」) で披露してくれた全訳で読んだ。語るも涙の訴えの中で、とくに以下のくだりが目を惹いた。

「安定維持」 経費を巡る腐敗の構造

昨年8月、彼ら (陳氏を監視・軟禁した地元の幹部) はわたしに文化大革命式の批判を行った時、こう言いました。

「お前は(以前YouTubeに発表した)ビデオで(一家の監視に)3000万人民元が使われたと言ったが、あれは08年の数字だ。今では2、3000万なんてもんじゃない。あれには北京の、上の政府関係者に贈られた賄賂は入ってないんだよ! できるもんならネットでしゃべってみろってんだ!」

その話のほかに、別の連中は 「おれらなんかたいした金はもらってない。上が全部食い尽くしてんだ」 と言っていました。確かにこれは彼らにとって金もうけの良いチャンスなのです。わたしが知るところによると、郷でお金が差し引かれて組長の懐に入るのです。一人あたり1日100元で人 (注:監視担当者) を雇うことになっていますが、組長は雇った人間に 「1日100元の賃金だが、90元だけやる。10元はおれのもの」 と言っています。

現地の労働賃金は1日5、60元で、またこの仕事は大して力を使うでもない労働だし安全だし、1日3食付いているから皆がやりたがる。90元に減らされたってやりたがるのです。しかし1チーム20人あまりを雇えば、組長には1日200元あまりの収入となる。ものすごい腐敗です! (中略)

わたしの知るところによると、この 「安定維持」 経費は彼らが一度話してくれたのですが、県が郷に1回数百万を分配できるようになっているそうです。「おれたちにはほとんど入ってこない。上が全部もっていくからおれたちがもらえるのはお涙程度」 と言っていました。この腐敗はどんなに根が深いことか。金や権力がどれほど乱用されているか。

このため、このような腐敗行為に対して温総理に調査と処理をお願いしたい。我われ一般市民が納めた税金が、このように無駄に地方の違法な幹部に渡り、人を迫害することに使われるなど、我われの党のイメージを損ねさせていはいけません。このような明るみにできないことをやっているとき、彼らは党の旗を振りながら、党が命じてやらせていると言っているのですよ!

陳氏の訴え (陳氏が地元の幹部から聞かされた話) がすべて真実なのかどうか、は分からない。しかし、ここで言われている 「安定維持」 (中国語では 「維穏」) 経費が上級政府の公安系統から陳氏の自宅のある農村まで下付されている実態は、金額の正確さは別として事実であろう。

そのことで改めて、中国の地方財政制度が抱える問題の根深さを考えた。

「分税制」 改革で干上がってしまった末端地方財政

事は94年に断行された 「分税制改革」 に遡る。この改革は、一言で言えば市場経済への移行期に深刻な財政難 (徴税は未発達、国有企業は不振) に陥った中央財政を救うため、地方財政から財源 (税目) を逆譲与するものだった。

改革は、その後の経済成長と徴税行政の改善により劇的な成功を収めた。税収は飛躍的伸びを記録、中央財政はみるみる財力をつけ、その後の中国台頭と制度改革に潤沢な資金を提供した。

実際には、中央財政は収入の7割前後を補助金や還付の形で地方政府にバックするので、支出ベースで見ると、中央 (直轄) 対地方の比率は1:6くらいになるのだが、その補助金構造がいまの中国の 「中央集権化」 を加速している。

中央財政力の強化の裏側では、地方財政が相対的に窮乏化した。とくに、分税制改革自身は中央と 「省」 級政府間の税源移譲を定めるのみで、省以下の各級地方財政間の取り分については各省に委ねたのだが、結果として省政府が 「中央に倣え」 式に基層 (県、郷鎮、村などの末端) の地方政府から財源を吸い上げる現象が起きた。

この結果、医療・教育・福祉など住民向けの公共サービスの担い手である基層政府の財政が困窮化し、公共サービスの給付水準が下がり、住民負担が増大したことが後に幾多の社会問題を生んだ。(本問題にご関心のある方は、経済産業研究所時代に書いた拙稿 「中国地方財政制度の現状と問題点 近時の変化を中心に」(pdf)を参照してほしい。)

近年、中国の地方政府が土地払い下げ収入 (出譲金) を重要な財源とし、その収入動機から地価高騰を煽ったのは事実である。しかし、地方政府にすれば、「分税制」 改革がきっかけで財源を上級に吸い上げられたので、そうするしかなかったという事情もある。

市・県・鎮あたりは土地収入があったからまだマシ、いちばん悲惨なのは土地収入も入らない僻地の 「村」 で、とくに2006年の農業税廃止 (「農民人頭税」 みたいなもの。廃止は胡・温政権の 「善政」 と称えられたけど) 以降は、いよいよ財源が枯渇した。このレベルの 「党・政幹部」 だけで、実に650万人くらい (!) いるらしい。彼らはご飯を食べるために、どうしているのか。

治安維持が 「メシの種」?

今回の陳氏の訴えは、「治安維持」 のため、陳氏のような 「不穏分子」 を監視・拘束・軟禁するために上級から下付される 「維穏」 資金が、末端の 「党・政幹部」 の 「メシの種」 になっていることを強く示唆している。

今年3月の全人大で行われた財政部長の報告で、2012年の 「公共安全」 予算は7017億6300万元 (約9兆1200億円) とされ、国防予算の6702億7400万元 (約8兆7100億円) を上回った。さっき述べたように、そのあらかたは地方政府で支出される。陳氏が述べたように、各上級組織で次々ピンハネされて、氏をいじめた村の人間に手許には90元/人・日しか来ないとしても、広い中国で足し上げていけば、そういう経費を含む 「公共安全」 予算が国防予算を上回っても怪しむに足りない。

「自分たちの生活がかかっている」 となれば、末端の党・政幹部は 「ノルマ」 を設けるだろう。「村の決定に不満で、上級政府に直訴しようとしたり、マスコミ記者に接触しようとしている陳某を 「不穏分子」 として上級政府に申告し、監視・軟禁経費として毎月ウン万元を申請しろ」式に。本末転倒の 「不穏分子」 探しが起こることは想像に難くない。

もう一つの 「メシの種」、一人っ子政策

財源が干上がった末端の行政組織ではどうやってメシを食っているのか?この問題に最初に関心を持ったのは、「一人っ子政策」 が末端行政機構の 「メシの種」 になっていることを窺わせる記事を読んだときだ (拙ブログ 「ベビー・ロンダリングの話」 参照)。これは 「新世紀」 誌が報じたスキャンダルで、貧しい農民に対して、ときに1万元以上を払えと強要し、払えない農民から子供を取り上げて、孤児院 (「福利院」 という) 経由で、養子を求める海外に 「売っていた」 という話だ。

そこまで酷くなくても、農村で役人が 「一人っ子政策」 違反の罰金 (「社会撫養費」 という) を農民から厳しく取り立てる話は、中国で広く聞かれる。「熱心」な村では、「超生 (二人目を産む)」 の罰金はおろか、妊娠状況の定期検査を受診していない、既に子供を産んだ女性が卵管結紮手術を受けていない等々、ありとあらゆる口実で罰金を強制的に取り立てるという。それが村の党・行政組織のメシの種になっているのだから、頷ける成り行きだ。

末端の党・政幹部は、ここでも 「ノルマ」 を設けるだろう。「今月は一人っ子の罰金をウン万元取り立てろ」 式に。それがどれほど人権侵害等の害悪を生むかも、言うまでもない。

地方財政改革 (「分税制2.0」) が必要

筆者がここで取り上げたいことは、中国の末端役人が如何に 「トンデモ」 か、ではない。むしろ、中国でまかり通るこれらの非人道、不道理には、「なるほどねぇ…」 という理由、構造があることを言いたいのである。日本でも戦前・戦中の 「暗い時代」、カネに釣られて、ではないにしても、行政や社会に設けられたインセンティブ制度によって非人道的な行為が行われた例はいろいろある。人間は同じような環境に置かれたら、同じようなことをやりかねない存在である。

こういう不道理を撲滅するために、いま必要なことは、中央と地方 (とくに基層 (末端)) の間の財源再調整 (分税制2.0) だ。それなしに、党中央がいくら 「党員の心構え」 を説教しても無駄である。

それも末端役人の 「メシの種」 を満足する程度ではなく、分税制の陰で低下してしまった公共サービス (住民への医療・教育・住宅・就業・養老等) を恢復する程度に、かつ、それを上級政府が恩恵的、恣意的に下付する補助金の形ではなく、末端行政組織に、いわば権利として保障される財源になるような形に再調整すべきだ。

こうしたことは、中国が昔のまま 「カネのない国」 であれば、望めど果たせぬ夢、だが、いま中国で取り立てられている税金は、中央・地方合わせると、日本の1.5倍に及ぶ。日本よりGDP比で5割近く税金が取れるお国柄になっているのだ。そういう改革を実行してこそ 「和諧社会」 というものだろう。

しかし、日本だって、中央が地方を補助金で支配する構造の改革が永く叫ばれているのに、一向に進展しない。まして、中国の改革の困難さは容易に想像できる。中央と地方を巡る巨大な既得権益を相手にした闘いになる。この難しい改革に手を付けられるか、秋に登場する習近平氏の新政権の前には、こういう難題も待ちかまえている。

津上俊哉