2009年初頭は企業による解雇の嵐が吹き荒れた。そこで「企業は雇用を守れ」という声が盛んに聞かれた。
トヨタ自動車前会長の奥田碩氏は「経営者よ、首切りするなら切腹せよ」と恫喝してきたが、そのトヨタ自動車は派遣切りや期間社員切りを真っ先に進めた。
現代の日本社会で雇用を守るのは企業の責任とされている。しかも「雇用を守る」の意味が「社員を解雇せずに雇用し続ける」という事と同義として扱われているが、いかに非現実的であるか奥田碩氏の発言とトヨタ自動車の労務管理の矛盾を見れば分かる。
私が考える「雇用を守る」の意味は社会全体として失業者を極力出さない事だ。企業の責任は解雇しないだけでは済まない。経営の実態に見合った人員を雇っているかどうかと働きに見合う給料を出しているかという事に企業の責任がある。例えば極端な話をするが、トヨタ自動車の様な売り上げが兆単位の大企業が社員を百人しか雇わずに恐慌が来ても解雇を一切しなかったとして、企業の雇用責任を守ったと言えるだろうか。
経営者から聞かれた一つの意見として「売り上げが1割減れば社員全体で痛みを分かち合い、減給し解雇者を出さない様にする」という事がある。売り上げ1割減位なら、それも可能だろうが、売り上げが半分に落ちたなら果たしてやっていけるのか。社員が共倒れになるだけではないのか。つまり企業経営が健全である事が大前提となっているが、家庭電器産業や自動車にしても消費者の気まぐれで購入されるものであり、企業努力だけではどうにもならない場合もある。例えば、エネルギー革命で潰れた石炭産業などがそうだ。
「雇用を守る」というと、いかにも立派に聞こえるが単に既得権益を守っているだけだ。「簡単に解雇しない」とは裏返すと「簡単に雇わない」という事でもある。
つまり新卒者、主婦、失業者などが、容易に就職できないという事でもある。
未曾有の世界不況に襲われても解雇しなかった会社は日頃、社員を酷使していただけだという見方も出来る。
雇用を守るのは政府の仕事であり、それを企業に押し付けているから労働者に対する歪んだ人権侵害が発生するのだ。
政府が責任を持って新たな雇用の場を作り出したり、失業しても一定期間は生活や職業訓練が出来るような政策を打ち出すべきだ。
これは私のサイトある作家のホームページ>社会科学>派遣労働問題を考える>誰が雇用を守るかを編集したものなので興味のある方はそちらをご覧頂きたい。
古舘 真