著者:マイケル・サンデル
販売元:早川書房
(2012-05-16)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆
私が「核廃棄物はモンゴルに輸出すればいい」というと、激しい反発を買う。なぜだろうか。貧しいモンゴルは処理費用を受け取り、捨てる場所はたくさんある。日米は厄介な廃棄物を国内からなくすことができ、数兆円かけて最終処理施設をつくるより安上がりだ。双方にとって利益があるのに、なぜ人々は市場を嫌悪するのだろうか?
本書でも、著者は同様の例をたくさん挙げている。特に論議を呼んだのは、ポズナーの提案した「赤ん坊の市場」である。金をもらって妊娠代行するサービスまであるアメリカで、赤ん坊の売買ができないのは筋が通らない。子供のほしい人にとっても引き取ってほしい人にとっても、市場で取引することは合理的だ――というと、日本でも非難を浴びることは必至だろう。
こうした「市場の越境」に反対する理由は、生理的な嫌悪感を除くと、大きくわけて二つある。一つは、高所得者だけが赤ん坊を買うことができ、貧しい親はいくら子供がほしくても買うことができない、という所得分配の面からの批判だ。これは技術的に解決できる。たとえば「子供バウチャー」のような制度を設けて、政府が所得を補助すればいい。
もう一つは、金銭的動機が過剰に強くなるとインセンティブの歪みが起こる、というもっと本質的な批判だ。赤ん坊の市場を設けると、他人に売るためにたくさん子供を産む親が出てくるだろう。そうやって「量産」された子供は幸せなのだろうか。大きくなって自分が金のために産まれたと知ったら悲しむのではないか。幸福は最終的には心の問題なのだから、金銭的利益を最大化することがつねに正しいとは限らない。
社会には多くの側面があり、数量化して取引できるのは、そのごく一部である。その部分だけを市場化してインセンティブを強めると、数量化しやすい部分に経済活動が片寄る。企業でいえば、すべての労働者の給料を歩合制にしたら、セールスマン以外の仕事は成り立たない。つまり市場化することは一つのフレーミングであり、それ自体が人々の行動を歪めるのだ。
とはいえ、市場化によって初めて解決できる問題もある。著者は温室効果ガスの排出権取引が最初に提案されたとき反対したというが、これは京都議定書で国際的な制度になった。「汚染する権利」を買うのは直観的には不道徳だが、社会的には効率的な結果をもたらす。核のゴミを廃棄する権利が、その数億倍の体積の温室効果ガス排出権より不道徳だとは思われない。
本書は、おなじみの講義のようにいろいろな例題を出して問いかけるだけで、著者は明確な結論を出していない。特に深い哲学的な思索があるわけでもないが、市場主義の効果と限界を考える材料はたくさん提供している。