新聞の社説は小論文の役に立つ?-学生に「知の虐待」を行うな-

高橋 正人

先日、喫茶店で、高校生と思われる二人組が新聞の社説をノートに黙々と写しているのを目撃した。彼らの会話によれば、「小論文の上達のためには新聞の社説を写すのがよい」という信念を教師がもっており、「写経」が宿題になっているようだ。

1.社説の「写経」が有効だと思っている人々


「小論文の上達には社説を写すのが有効」という考えは、割と広く共有されている。約10年前、私が高校生の頃にも聞いた記憶があるし、今でも「小論文_上達法」といった組み合わせでネット検索をすると、社説の写しを勧めるサイトが多く見つかる。また、高校生に限らず、大学生に対する指導でも、社説写しの効用が説かれたり、授業の課題にされている(例えば千葉商科大学文京学院大学)。

しかも、朝日新聞のホームページでは、自社の社説を「読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます」と自画自賛している(すごい自信だ・・・)。

このように、教育者・教育機関や新聞社が「社説は小論文の役に立つ」と言っているが、社説を写すと本当に小論文の力が上がるのだろうか。

2.社説は典型的な悪文だ

通常、小論文は、

・「論点」:何を問題とするか
・「意見」:問題に対する筆者の主張
・「根拠」:主張を裏付ける証拠、ロジック

といった要素で構成される。字数に余裕があれば、予想される反論に回答するといった付け足しも行うが、基本的にはこの3要素が文章のコアの部分である。

こういった観点から新聞の社説を読むと、以下で記述するとおり、お世辞にも「小論文の見本になる」とは言えない。悪文の度合いはどの新聞社でも大体同じだが、自画自賛の朝日新聞を具体例に挙げてみよう。

症例1)意見に対する根拠がない
前半で論点や主張と関係のない話をし、突然後半で根拠のない主張をするパターン

「沖縄復帰40年-めざせ、環境先進地」(2012年5月15日)
この社説の前半では、沖縄経済の雑ぱくな事実を羅列しているのだが、後半になって突然、「こんな元気な沖縄でいま、環境に優しいエネルギーの試みが注目されている。そのひとつが、県レンタカー協会などによる『EV(電気自動車)普及プロジェクト』だ」と話題を急転換する。

社説の最後で、沖縄が環境先進地になることを期待している、と主張しているが、「なぜ沖縄が担うべきなのか」や「沖縄に担う能力があるのか」といった根拠付けは全くない。

症例2)紋切り型の決めゼリフ
政府や事件の当事者に対し「議論を深めてもらいたい」、「猛省を促したい」といったベタな一言で片付けるパターン

ギリシャ危機-仏独が主導し新戦略を(2012年5月17日)
ギリシャ危機をテーマにして事実と感想を延々と並べた挙げ句、「仏独はEUの新戦略を主導する歴史的責任がある」の一言で締めくくっている。

症例1の場合、根拠はないものの論点と主張はある。しかし、症例2ではそれすらも明示的に読み取れない。何となくテーマについて広く語って、最後は「政府はしっかりしろ」と吐き捨てて終わる。(どちらが元祖かわからないが、)ワイドショーのコメンテーターのようで、あまり役に立たない。

上記の具体例以外でも、社説には小論文的な構成がないことが多く、小論文というより漠然とした感想文と呼んだ方がよいだろう。したがって、社説を写したところで何年経っても小論文が書けるようにはならない。

3.社説を写させるのは「知の虐待」

「新聞の社説が小論文の見本になる」と心から信じている教育者は、本当に社説を読んでいるのだろうか。単に昔から有効と言われている手法だからという理由だけで生徒に「写経」を強要していないだろうか。

スポーツの練習では、体を破壊しかねない非科学的なトレーニング(うさぎ跳びなど)であれば行わない方がましという認識が広がっている。小論文の訓練にも同様の認識が必要だ。新聞の社説のような論理のない文章を写させても、学生の頭はパニックに陥るだけであり、やらない方がましだ。社説を写させるのは指導者(と自画自賛の新聞社)による学生に対する「知の虐待」と言えよう。

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(補足)ではどうすれば良いのか?
批判だけで終わっても建設的ではないので、私が最適だと考える小論文の訓練方法を簡単に記述しておく。

1.他人の文章の構造を見抜く力を付ける
論理構成の厳密な文章(評論文など)の「論点」、「意見」、「根拠」を要約する練習をしつこく繰り返す。

2.文章の構造をつくれるようになる
「論点」、「意見」、「根拠」の骨組みだけをそれぞれ1~2文で書く練習をする(まだ長文を書く必要はない。構成を組み立てる力がないのに、いきなり長文を書いても時間の無駄)。

3.実際の文字数で文章を書いてみる
骨組みをつくる能力があれば難しいことではない。この段階になって始めて、レトリック(引用、比喩、例示など)の力も必要になるので、良質な文章を書き写すトレーニングに意味が出てくる。

昔、学生を指導した経験を思い出すと、1の段階のトレーニングに相当な時間が掛かった(特に読書の習慣のない生徒)。しかし、他人の文章を構造的に理解できるようになれば、2、3の段階にはそれほど時間は掛からない。焦らずに1の基礎を固めることが重要だ。
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高橋正人(@mstakah