先日の古賀茂明氏の「停電テロ」でもこの番組でも、局の姿勢はよくも悪くも明確だ。「原子力村」は絶対悪で、国民は気の毒な被害者だという図式で悪をたたく勧善懲悪である。「秘密会合」なるものを問題にしていたが、事務局会合をフルオープンにする審議会なんかどこにもない。決定的な事実の指摘は何もないが、視聴者は何となく「原子力村は悪人の集まりだ」と思い、それを糾弾するテレビ朝日の「正義」を支援する。
テレビ朝日がこういう印象操作を繰り返すのは、彼らが「大衆なんてしょせんバカだ」と思っているからだろう。これはマーケティングとしては正しい。アゴラでも紹介したように、国民は「朝三暮四」なので、長期的なエネルギー供給なんか考えないで目の前の「原発は恐い」という感情で「自滅的な選択」をするからだ。
民放のディレクターなら誰でも知っているように、テレビを見ているのは国民の中でも知的水準の低い層で、平均レベルは中学生ぐらいだ。NHKでさえ、ニュース番組の視聴率が最高なのはスポーツコーナーだ。それに迎合してスポーツ・芸能ネタをやれば数字がとれることはわかっているが、メディアとしてのプライドが歯止めをかけている。
だからテレビ朝日のように羞恥心を捨ててバカに迎合すれば、数字をとるのは簡単だ。それは戦争中に「国民の火の玉が炸裂する」などと大衆を煽動して部数を増やした朝日新聞と同じだ。ヒトラーは「大衆は女のように感情だけで動く」と言ったが、朝日新聞グループもヒトラー的マーケティング手法をとっているのだろう。
これは大衆社会の宿命的なジレンマである。民主主義は国民が賢明であることを前提にしているが、実際の国民は感情的で近視眼的だから、国民投票で決めたら原発も税金もゼロに賛成するだろう。そんなものが「本当の民主主義」だと思っているのは、宮台真司氏のような中学生レベルの知能の持ち主だけだ。
意思決定は感情でできるが、結果を感情で変えることはできない。原発の停止で発生した損失は6兆円以上で、すでに福島第一原発事故の被害を上回った。大停電が起きたら、福島よりはるかに大きな人的被害が出るだろう。そのときテレビ朝日は、また被害者づらして「反権力」を気取るのだろうか。
山本七平も指摘したように、こうした結果を考えない「空気の支配」がいまだに通用するのは、日本人が戦争で侵略されたことがなく、政治に合理的な意思決定を求めないからだろう。しかしそういう「平和ボケ」はいつまでも続けられない。幸か不幸か、破局はそう遠くないだろう。