手塚治虫を生んだ光が消えるとき

矢澤 豊

脚本家、倉本聰氏が、新作ドラマの試写会で次のように述べたという。

「いままでのような贅沢で恵まれた生活を続けるならエネルギーは必要だし、原発も必要。その覚悟があるのか? さもなければ暮らしを少しだけ元に戻すという道がある。1972年当時に戻ればエネルギーは現代の5分の2で済むようになるけど、経済力もGNPも落ちる。どちらの覚悟がいるのかということです。」


さすがにストーリーテラーの手練れだけあり、観客を前にした問題の本質への切り込みかたには鮮やかのものがある。

しかし、そのレトリックはアンフェアだと私は感じた。

原発を捨てることにより我々が失うものは「贅沢」ではない。我々は「進歩」を失うのだ。

「暮らしを少しだけ元に戻す」のではない。我々は「進歩」をあきらめた瞬間から「退化」していく。

「暮らしを少しだけ元に戻す」、「経済力・GDP」などという言葉を選んでボカしているが、ようするに後続の世代に「貧乏になれ」といっているのである。


悲しいまでにケナゲなムラ社会の住人である日本人に対して、「身分不相応な贅沢」を指弾することは、非常に効果的なやりかただ。戦時中の日本で「贅沢は敵だ」というスローガンは、「非国民」迫害のキーワードだった。

しかし常に「進歩」を求めるということは人間性の根源にある欲望だ。「進歩」へのあくなき欲望が、人類をして現代のより健康で豊な生活を可能にしたのだ。

震災のあと、あの菅首相に集められた「復興会議」(いったいどういう仕事をしたのだろう)で「文明災だ」と怪気炎をあげたのは梅原猛氏だったが、「文明」を否定することは、こうした「人間性」を否定することだ。「怨霊」が得意な梅原氏も、生身の人間は苦手なのだろう。

もちろんより健康で豊な生活を追求する中で「原発のリスク」と向きあうことが、我々の世代に突き付けられた「進歩」の命題であることは、倉本氏が指摘するとおりだ。

しかし、単純に「原発稼働ゼロ」をよろこび、「原発リスク」に対する建設的議論を拒否し、「進歩」を「贅沢」と決めつけ、若い世代に対し「退化」と「貧困」を強要することが、どれだけよりよい日本の未来につながるというのだ。

倉本氏の発言は、倉本氏に代表される世代の「モノの見方」を雄弁に物語っていて、非常に興味深い。

彼らは戦後と高度経済成長期の日本の記憶を共有し、今の自分たちが「贅沢」をしているという罪悪感を感じている。そして「贅沢さえしなければ」という「禁欲」の贖罪を行えば、残り少ないそれぞれの人生において「救済」されると思っているのだ。

自分たちだけは「いい人でありたい」という、末法思想にもつながる熟年層の「後生頼み」と、大多数の事なかれ主義者たちの責任回避の犠牲となって、次世代の日本が窒息してゆく。そして、そうした酸欠状態の「空気」にのっかろうというのが、橋下氏と、氏の取り巻きに代表される政治的オポチュニストたちだ。

関西電力と橋下グループのドタバタのニュースを聞きながら、私は手塚治虫の「あの日」の回想を思い出した。

八月十五日の夜、阪急百貨店のシャンデリアがパーッとついている。外に出てみると、一面の焼け野原なのに、どこに電灯が残っていたかと思えるほど、こうこうと街灯がつき、ネオンまでついているのです。それを見てぼくは立ち往生してしまいました。

「ああ、生きていてよかった」と、そのときはじめて思いました。ひじょうにひもじかったり、空襲などで何回か、「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし、八月十五日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。

そしてその体験をいまもありありと覚えています。それがこの四十年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。ぼくのマンガでは、いろいろなものを描いていますが、基本的なテーマはそれなのです。

つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまうのです。

手塚治虫という天才を生んだ大阪の光が、今67年目の夏を前に、消えようとしている。

今の政治に必要なのは「独善」ではない。「希望」だ。

Life can be wonderful if you’re not afraid of it.
「人生は素晴らしい、そんなに怖がらなければね。」
チャップリン “Limelight”より