米国ウイスコンシン大学から投稿された河岡義裕教授らの論文が、多くの論議の末、5月初旬に科学雑誌『Nature』に掲載された。
世界の感染症に関する中心的情報発信の役割を担っている、米国ミネソタ大学の感染症研究と対策センター(CIDRAP)がその背景について論評している。
■Report details changes that may boost H5N1 spread in mammals:
(ほ乳類に拡大する可能性ある作成H5N1ウイルス研究論文の詳細が変更されて発表)
その概要は以下の通りである。
ウイスコンシン大学の研究チームが作成したウイルスの遺伝子は、7個のH1N1ウイルス由来の遺伝子(2009年の新型インフルエンザ)と1個のH5N1鳥インフルエンザウイルス由来の遺伝子(ヘマグルチニン遺伝子:細胞に感染する際に働く)で構成されている。
作成ウイルスは人体モデルとされるフェレット間で容易に感染を起こすが、感染死は起こさないとされる。7個のH1N1ウイルス由来の遺伝子もフェレット間での感染力増強に働いていると考えられている。
発表論文は当初の内容よりも考案部分が長くなっていて、作成されたウイルスの人に対する危険性が低いこと、実験のセキュリティーが高度に保たれていること、そして研究によるメリットが大きいこと等が詳述されているとされる。
また当初の論文が、米国の連邦諮問委員会により発表が不承認となって以来、2回修正されたと河岡教授はCIDRAPに説明している。
日本国内報道機関もニュースとして流しているが、残念ながら全ては表面的であり、内容も不正確である。
上記CIDRAPの論評は長大であるが、やや鮮明さに欠ける。
重要なことは、研究資金の出所である。上述のウイスコンシン大学(東大医科研の河岡義裕教授が客員教授としてリーダーとなっている)の研究も、さらにもう一つの同様にH5N1ウイルスを扱い論文発表が保留されているオランダのエラスムス大学の研究も、米国連邦政府から研究費が出ている。
両研究実験の危険性、さらに研究結果の危険性やその発表内容に関しては、未だベールに覆われている印象を受ける。
特にオランダチームの研究結果に関しては、研究者は当初意気揚々と、人への感染性を有する致死的H5N1ウイルスの作成に成功したこと、そしてその操作は予想よりも容易であり、自然界でも起こりえる程度の変異内容であると、報道機関に語っていた。
同チームのリーダーであるロン・フーシュ教授は、最新の『タイム(Time)』誌で最も影響を与えた世界の100人に選ばれている。
しかし、世界的にその研究内容の危険性が論議され始めると、オランダチームは見解を変えた。4月上旬のことである。作成ウイルスには致死力はないとか、フェレット間での空気感染はない等と説明内容が変更され、真相は霧に包まれた。
オランダの論文は、近日中に『Science』に掲載されるというが、実験結果に関してどこまで論文で明らかにされているか。真相は、研究に従事した研究者たちと研究を支援した米国政府のみぞ知る、ということかもしれない。
両研究とも、研究依頼と研究費は米国政府から出ている。従って、水面下での論議は色々あり得るはずである。
米国としては、人人感染するH5N1ウイルスを手に入れ、早急にワクチン開発に乗り出したい、というのが思惑だろう。
変異ウイルスが生物兵器化した場合、世界中に配置されている米軍兵士達に迅速にワクチン接種を行う必要がある。
米国は2005年の時点で、フランスのサノフィ・パスツール社が製造したH5N1プレパンデミックワクチン(ベトナムで分離されたH5N1鳥インフルエンザウイルスに対するワクチン)を、既に兵士用に数百万単位で備蓄していた。
近い将来H5N1鳥インフルエンザウイルスが変異して、人の間でパンデミックインフルエンザを起こす。そう考えている研究者は多い。
今回の実験室内で作成されたフェレット間で容易に感染するH5N1ウイルス(恐らく、人の間でも感染は容易に起こると考えられる)に関して、実験過程と結果を詳細に論文発表することは、ある程度の危険性(生物兵器として開発される)はあっても、ワクチン開発や抗インフルエンザ薬開発のために重要な情報と考える研究者は多い。
論文発表がなくても、作成可能な水準にある研究室は世界に他にもあり得ることから、H5N1ウイルスが生物兵器化されるリスクを恐れて論文を未公開にする意義は薄いとの意見も多い。
今、多くの研究者たちが主張しているのは、人に容易に感染する変異H5N1ウイルスがいつ自然界、または人為的に誕生してパンデミックを起こしても、それに十分対抗できるだけの対策を急ぐことのようだ。
外岡 立人
医学ジャーナリスト、医学博士
編集部より:この記事は「先見創意の会」2012年5月29日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。