増税論議に思うこと

津上 俊哉

増税論議に思うこと

或いは 「死んだ子の歳を数える」
ような 「マニフェスト」 論

  私は野田総理の増税について、これまで 51:49 くらいで増税に賛成だった(賛成の理由は、私の元ブログに書いた)。しかし、この一、二週間で考えが揺らいで賛否がひっくり返りそうである。原因は自民党の動きにある。


  最近、自民党内の 「老・青」 対立が報じられるようになった。派閥の領袖クラスが 「大連立」 による増税に前向きで、執行部に圧力をかけているという。これは 「大連立内閣」 の暁には、自民党の派閥領袖クラスが入閣する青写真があってのことだろう。

  もう一つ、先週自民党の調査会が 「国土強靱化基本法案」 なる公共事業拡大政策を打ち出し、6月にも国会提出する、のだそうだ(毎日5/23報道)。

  「旧い顔ぶれ」 というだけでアレルギー反応を起こすつもりはない。この数年、「世代交代」 の無惨な失敗を何度も見せられてきたから、「旧い顔ぶれ即不可」 と決めつける訳にもいかない。しかし、「200兆円の公共事業」 とはどういうことであるのか。ここでも 「公共事業」 というだけでアレルギー反応を起こすつもりはないし、311大震災以降、「防災・減災」 が改めて問われているのも事実だ。しかし、「公共事業を毎年20兆円ずつ10年間」 とか 「列島強靱化でGDP900兆円」 とかぶちあげられると、「拉致されてタイム・マシンにでも乗せられたか」 と、呆気にとられる思いだ。

  いま 「公共事業」 に求められていることは、厳しい財政事情と少子高齢化の進行を念頭に、既に先覚的な地方都市や過疎地帯が始めた 「コンパクト・シティ」 化や 「スローな (住民手弁当参加型) 公共事業」 など、国土の住まい方を根本から見直して計画を練り直したり、維持が必要な既存施設を洗い出して補修にどれくらいかかるのかをキッチリと詰めたりすることではないかと思う。この法案のイデオローグらしい京大の藤井聡教授も、一部そういうことを言っているのかもしれないから、本当は同教授の最新刊 (「救国のレジリエンス」) でも読むべきかもしれないが、私は 「公共投資による需要創出でデフレ脱却を図る」 と聞くと、それだけで読む気が萎えてしまう。

  昨30日夜、野田総理と小沢元代表の会談が「平行線に終わった」そうで、今後は政権と自民党との間で、増税法案に関する協議と、人事や政策などの連立協議が表裏一体に進むはずだ。

  大連立による増税話と並行して打ち出された 「国土強靱化基本法案」 は、この連立協議の過程で持ち出されるだろう (政策協議が 「税と社会保障」 に限定されるいわれはない)。自民党としては 「政策合意事項」 の中に 「国土の強靱化を進める」 の一項を入れるだけでもよいが、例えば 「平成25年度予算編成において、24年度予算公共事業費(補正後) を2兆円上積みし、『国土の強靱化』 に充てる」 と金額まで入れられればベストである。「それが増税法案賛成の条件だ」 と言われれば、「命をかけている」 野田総理としては 「まる飲み」 するほかない。

  しかし、国民の過半が 「いずれ増税はやむを得ない」 と考えているのは、「年金や医療制度を持続可能なものにする必要がある」 と考えているから、ではないのか。「国土強靱化基本法案」 は自民党のホームページにも出ておらず、具体的な中身が不明だが、増税による増収分が公共事業拡大に流れるのだとしたら、それは 「民意」 に適ったことなのか。

  増税に対する 「51」 の賛成が揺らいだ理由は、以上のように増収分が何に使われるのかが分からなくなったからだ。今後どう展開するか分からない密室の増税・連立協議の成り行き次第では、使途に「公共事業拡大」が盛り込まれる可能性も十分ある。今朝(31日)の新聞各紙社説は、野田・小沢会談平行線」を受けて、野田総理に自民党との協議加速を促し、増税実現を訴えるものが多かったが、増税の使途は何だと考えてそう主張するのか、訊いてみたい。

  「増税」 するというのに、カネが何処に使われるか、国民は政治から何の言質も証文も得ていない、というのはまともな民主政治ではない。とくに、民主党政権の政策が 「コンクリートから人へ」 に始まり、「税・社会保障一体改革」 へ変容するところまではともかく、「仕上がりは 『公共事業拡大』 でした」 になったら、いくらなんでもひどすぎないか。

  いまさら民主党の 「マニフェスト違反」 をあげつらうつもりはない。「政権交代」 は2009年の参院選で 「ねじれ国会」 が発生したところで幕を下ろしたのであり、「履行不能になったマニフェスト」 に何時までこだわっても意味がない。小沢元代表らのグループが執行部の 「国民への約束違反」 を難じながら、実行可能なマニフェストへの改訂を議論しようとする気配がないのは、本当のところ国民に対して無責任な 「政局」 思考だと感じている。同時に、野田総理ら執行部が言う 「増税は党として決めた」 についても、それは刑事被告人になった小沢元代表の党員資格を停止していた最中に決めたことではないかという疑問を持つ。「仮面夫婦」 を決め込んできた咎めが最後に出た格好だ。

  これと対比して言えば、違和感ありまくりの 「国土強靱化基本法案」 が一点評価できるのは、「大連立」 にせよ何にせよ、自民党が政権の座に復帰したら何をしたいのか?をはっきり世に問うたことだ。「隠れ」 にせよ、これは遠からず始まる平成25年度予算編成を念頭に置いた、歴とした 「マニフェスト」 である。後で 「公共事業拡大」 に文句を言う向きが出てくれば、「法案を世に問うた我々を連立相手に選んだではないか (社説で 「我々との協議を急げ」 と応援したではないか)」 と堂々と反論できる。

  「マニフェスト政治」 は 「ねじれ国会」 という民主党政権の蹉跌で泥にまみれ、国民の信を喪ってしまったが、この半月ばかりの政治を見ていると、そのことの損失如何ばかりかを痛感する。「最悪」 の想定は、「旧い顔ぶれ」 による 「旧い政策」 では、大連立後に選挙をしても、連立側が負ける可能性があることだ。仮に私が対抗勢力の立場だったら、そのアキレス腱を責め立てるために 「増税白紙撤回」 をマニフェストに掲げる。もし、それで再び 「政権交代」 や 「再ねじれ」 になったら……そういう事態になったらどうすれば良いかは思いつかないが、なったときに似つかわしい言葉はすぐ思いつく。

  「歴史は繰り返す 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」

平成24年5月31日 記

(お断り:昨晩アップ後、改めて読み直すと、増税に 「51:49」 で賛成する理由を述べた前置きが冗長だったため、これをカットのうえ、若干加筆しました。元の文章は拙ブログに掲載してあります)